2015年11月30日月曜日

鉄道開通による鳩ヶ谷の変容

鳩ヶ谷市は2011年に川口市と合併するまで埼玉県南東部に存在した人口6万人の市である。東京都と隣接しているにも関わらず、2001年に埼玉高速鉄道線が開通するまでは鉄道が通っておらず、陸の孤島と揶揄されていた。鳩ヶ谷市は江戸時代の宿場町である鳩ヶ谷宿が発展して成立した町である。日光御成街道の宿場町として、徳川将軍家が日光東照宮を参拝する際には大いに賑わった。しかし、京浜東北線のルートから外れたことで、交通拠点としての地位は隣接する川口市に奪われてしまった。近年まで特産物の植木とブルドッグソースの工場が立地する他に何もない町であった。東京都に隣接しているにも関わらず、1980年代から既に緩やかな人口減少に突入していた。

埼玉高速鉄道線の開通はそのような鳩ヶ谷の状況を一変させた。これまで東京に出るためには、バスで川口駅、西川口駅、蕨駅、赤羽駅のいずれかに行く必要があったが、埼玉高速鉄道線は南北線と直通運転を行っているため、鳩ヶ谷から地下鉄一本で東京都心に出られるようになった。南北線は永田町、溜池山王、六本木一丁目、麻布十番、白金高輪といった東京の中心部を通る他、王子、駒込、後楽園、飯田橋、市ヶ谷、四ツ谷など、JRや東京メトロの他の路線の乗り換えに便利な駅をいくつも通っている。埼玉高速鉄道線の開通は鳩ヶ谷に交通革命をもたらしたと言っても過言ではない。

そして鳩ヶ谷のベッドタウン化が始まる。東京への通勤と通学の利便性が格段に増したことで、鳩ヶ谷はファミリー層にとって居住に適した地域となった。鳩ヶ谷駅の周辺には次々とマンションが建設され、減少していた人口も10年で10%増加するまでに至った。鉄道開通までは高齢者が目立つ町であり、宿場町の面影を残す本町商店街と坂下町の西友周辺にちょっとした賑わいが見られるだけであった。しかし、親子連れやサラリーマンの数が目に見えて増え、鳩ヶ谷駅の周辺にはマンションの他にもスーパー、家電量販店、パチンコ店などが立地するようになった。鳩ヶ谷駅が立地する地域は里と呼ばれ、鉄道開通までは水田や畑が見られる鳩ヶ谷でも田舎の地域であった。それが鉄道開通によって、駅周辺は本町と坂下町の商店街に次いで鳩ヶ谷における第三の中心地に発展した。鉄道開通は鳩ヶ谷市の人口を増加させただけではなく、町の構造まで変えてしまったようである。

鳩ヶ谷市の中心地であった本町にも影響は及んでいる。幸か不幸か開発から取り残されたことで、本町は宿場町としての面影を残していた。大正時代の香りがする洋館、からくり時計、江戸時代創業のうなぎ屋、老舗の酒屋、これらは現在も健在であるが、マンションの開発が進んだことで古き商店街の街並みも崩れてきている。2012年から川口市との合併を記念して、川口宿と鳩ヶ谷宿において日光御成道まつりが開催されている。当時の大名行列を模したパレードで、俳優の松平健や徳川家の現在の当主も参加する鳩ヶ谷としては地味にすごいイベントである。しかし、宿場町の面影が消えつつある現在になってイベントを開催しても遅きに失する感がある。

また、以前から鳩ヶ谷に住む人々の行動範囲も変化した。以前は外に出るには川口駅や赤羽駅にバスで向かう必要があったため、川口、赤羽、さらに京浜東北線で結ばれている浦和、大宮が仕事や遊びの中心地となっていた。しかし、鳩ヶ谷市民は今や川口などには見向きもせずに東京に向かっている。自らを埼玉県民ではなく東京都民だと思っている人が大半なのではないかと思う。筆者も埼玉高速鉄道線の恩恵を受けて、中学高校を麻布に通い、大学に入ってからも東京で過ごす日々であった。鳩ヶ谷市は2011年に川口市と合併したが、鳩ヶ谷と川口の関係は以前より薄れているのが実情である。

2015年11月29日日曜日

南北アメリカ大陸の古代文明における白人伝説

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南北アメリカ大陸の古代文明における神話には白人を思わせる神が登場する。アステカ文明のケツァルコアトル、マヤ文明のククルカン、インカ文明のビラコチャである。これらの神々はいずれも共通して背が高く、あご髭を蓄え、白い肌をしているという特徴を持つ。彼らは海を渡って古代アメリカに到着すると、先住民に農業や土木に関する技術を与えて文明をもたらした。そして再びこの地に戻ってくることを約束して、海の彼方に去っていった。文明の伝道者である彼らは古代アメリカにおいて神として信仰されるようになった。

南北アメリカ大陸の古代文明には古代エジプトとの無視できない共通点がいくつもある。有名なのがピラミッドである。アステカ文明の遺跡であるテオティワカン、マヤ文明の遺跡であるチチェン・イッツァには石造りの巨大なピラミッドが存在し、遠く離れたエジプトと似た造りのピラミッドが存在することから、古代アメリカ文明と古代エジプト文明には何かつながりがあったのではないかと考えられている。ペルーとボリビアの境界に位置するチチカカ湖は先住民が葦で束ねられた浮島に居住していることで有名だが、チチカカ湖に浮かぶ葦船は古代エジプトで使われていたものと類似している。チチカカ湖が10万年以上存続している古代湖であり、標高4000m近いアンデス山脈の中心に位置して外界から隔絶されていることを踏まえると、古くに伝えられた古代エジプトの文化が現在まで化石のように残っているとも考えられる。他にもミイラ文化、君主が太陽神の化身であること、ラクダ科の家畜が使役されたことなど多くの共通点がある。

白人を思わせる神々の伝説、古代エジプト文明との共通点、この二つを組み合わせると、古代エジプトの白人が海を渡ってアメリカ大陸に到達し、この地に古代エジプト文明を広めたのではないかと考えられる。学術的には証明されていないが、この古代ミステリーの謎はグラハム・ハンコックの「神々の指紋」でも述べられており有名である。現代世界において宗教は非科学的なものとして軽んじられる傾向にあり、ケツァルコアトルやビラコチャといった古代文明の神々に信憑性なんて無いようにも思われる。しかし、新しい技術や文化が当時の人々に革命をもたらしたからこそ、神話として語り継がれ、宗教として社会に生き残り続けたのだと思う。

日本においても外来の文明が形を変えて宗教として存続しているように思う。弥生時代は日本の歴史の一大転換点であり、渡来人がもたらした水稲耕作は日本の人口を爆発的に増加させた。同時に狩猟採集の生活から農耕の生活に移行した日本社会はムラ、クニを作り上げるようになり、やがて現代まで続く朝廷権力が誕生する。弥生時代にその原型が作られたとされる神道には稲作に関係した儀式が非常に多く、日本神話は日本列島に稲作文明をもたらした渡来人を神々として称える神話のようにも思われる。日本の代表的な宗教といえば神道の他に仏教があるが、仏教の広まりは中国文明の伝播と切り離せない関係にある。当時、僧侶は最先端の知識を持った学者であり、技術者であった。宗教に付随する科学的知識は社会に大きな影響を与え、人々の信仰を集めた。

ケツァルコアトルやビラコチャにも同じことが言えるのではないかと思う。古代アメリカ社会に計り知れないインパクトを与えた人々であるからこそ彼らは神格化されるに至った。そのような大きなインパクトを与えることができるのは外来の人々に他ならず、古代エジプト文明との共通点や白人を思わせる神々の存在から、地中海から大西洋を渡って南北アメリカ大陸に到達した白人がコロンブスよりはるか以前に存在したと考えるのが妥当であると思う。ヴァイキングの一部がニューファンドランドに到達していたというのは有名な話であり、大航海時代以前から大西洋を挟んだ大陸同士の交流があったのではないかと考えられる。古代エジプト、古代アメリカの他にもストーンヘンジやイースター島のモアイ像といった巨石文明がこの地域に集中しているのも単なる偶然なのだろうか。

2015年11月24日火曜日

冴えない彼女の育てかた9巻 感想

冴えない彼女の育てかた (9) (ファンタジア文庫)
丸戸 史明
KADOKAWA/富士見書房 (2015-11-20)
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このライトノベルがすごい!2016の作品部門で冴えない彼女の育てかたが9位に入賞。7巻で丸戸史明の本領が発揮されて大化けしたのと、アニメ効果が大きいと思われる。アニメは続編制作も決まっているので、原作が失速しなければ来年も良い結果が期待できそう。さらにキャラクター部門ではソードアート・オンライン、とある魔術の禁書目録、やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。の3作品が圧倒的な強さを見せる中で、御坂美琴、雪ノ下雪乃、一色いろは、由比ヶ浜結衣、アスナに次ぐ6位に加藤恵が入賞。加藤は2015年のアニメ業界で最も人気の出たヒロインと言っても過言ではないかもしれない。

そんな加藤は9巻では出番がほとんどなし。物語としては英梨々と並んで今回も重要な人物ではあったが、最初と最後しか見せ場がなかった。8巻の最後で英梨々が天才イラストレーターとして覚醒したことを見せつけられて、仲直りに近付いていた加藤と英梨々の関係は再び振り出しに戻ってしまい、9巻のプロローグは不機嫌そうな加藤からスタート。倫也の部屋でサークル会議をしているが、加藤の意向で伊織のみ部屋に呼ばれず。8巻での経緯から伊織は加藤から睨まれてしまったようである。そして「早く食べないと料理が冷めちゃうよ」の一言で、伊織とのビデオ通話を無言で強制遮断する加藤。挿絵でも禍々しいオーラを放っており、サークルでの役職が黒幕になりつつある…。

一方、倫也と同じクラスになった英梨々はそのような事情も知らず、倫也と上手くやっている模様。教室で一緒にランチタイムと、二人の仲は完全に修復されたようである。小学生のときの裏切りに加えて、サークル脱退まであったのに普通に英梨々と仲良くしている倫也が意外。倫也は英梨々に対して甘い気がする。英梨々は加藤と仲直りができていないことに不安な様子。

黒いオーラを放つ加藤によってギスギスした雰囲気の新生blessing software。英梨々の才能を目の当たりにして、出海ちゃんもイラストレーターとしての自信を失ってしまっている様子。伊織の提案で出海ちゃんは倫也の家でギャルゲー合宿を行うことに。伊織の提案には理由があって、出海ちゃんが無意識に英梨々の絵に似せようとしており、ギャルゲーのプレイを通して求められている絵が別のものであることを分からせたかったみたい。

合宿は失敗に終わるが、出海と入れ替わりにやって来た美智留が久々に良い働きをする。倫也がブラック加藤と出海ちゃんのスランプに悩んでいることを見抜いて、倫也を助けてあげられそうな人がいることについて言及する。そして美智留の手回しによって、雨の中ずぶ濡れで倫也を待つ詩羽先輩が登場。詩羽先輩のアドバイスは倫也がシナリオを書くこと。そして倫也は英梨々をモデルにしたヒロインのシナリオを書くことに。いつもなら加藤のアドバイスで倫也が動いて問題解決に向かうが、今回は当の加藤自身が問題となっているため出番はなし。まぁ、美智留と詩羽先輩の出番がなさすぎて、無理に登場させた感も否めない。

倫也は英梨々と徹夜で過去の記憶を共有していき、英梨々には内緒で実体験に基づいた英梨々ルートのシナリオを書く。これが帯にあった「俺は英梨々を裏切って、そして英梨々に告白する」のことかと思われるが、どのような告白をしたのかは書かれていない。ただ、倫也が書いた英梨々ルートのシナリオは内容がいろいろとおかしい。初めは物語で出てきた話を踏襲したものだったが、途中から有り得ない展開に。倫也って英梨々でそんな妄想をするキャラだったっけ…。そして英梨々ルートのラストでは英梨々がblessing softwareに戻って来たような描写がある。

【主人公】「いや、思い切り過ぎだろお前……色んなこと、犠牲にするかもしれないぞ?」
【英梨々】「違うよ……全部を犠牲にしないために、こうするの」
【英梨々】「自分の夢も、友情も……そして、あんたもね?」

倫也はやっぱり英梨々に戻って来て欲しいみたいである。英梨々とどんな話をしたのかは分からないが、これを今後の展開に対する伏線と考えるのであれば、英梨々を受け入れられるくらい価値のあるサークルにblessing softwareを育てあげることが倫也の今後の目標になりそう。その目標は親友である英梨々を取り戻したい加藤とも一致するところである。そして英梨々ルートを読んだ加藤は「どんだけ英梨々のこと好きなの安芸くん」と一言。紛うこと無く倫也が英梨々に恋愛感情を持っていることが明らかになった巻であった。

そして倫也が書いた英梨々シナリオはサークルの問題を解決することに。澤村英梨々(仮)と叶巡璃のギスギスしたシーンまで書いた倫也のシナリオはドロドロすぎて、シナリオを挽回するため出海ちゃんはコテコテの萌え絵を描かざるを得ない状況に追い込まれて吹っ切れた様子。そして英梨々に無許可でシナリオのネタ集めをした倫也に代わって、加藤は直接英梨々に謝りに行くと言い出す。そして自分が英梨々と巡璃の仲直りシナリオを紡ぐことを宣言。物語とゲームのシナリオが完全にリンクし始めた。現実に進行する物語がゲームのシナリオに影響を与え、一方で加藤、英梨々、倫也の三角関係の行方が、倫也自身が書くシナリオによって左右されるというのは斬新で非常に面白い展開。丸戸史明はメタな話が好きだと思っていたが、物語の内部にまでメタ構造を取り入れてしまうとは。

ラストは加藤の一言。

「だから、わたしの……メインヒロインのシナリオも、すごく期待してるからね?倫也くん」

加藤は倫也に対して恋愛感情は抱いていないことになっているが、これってほとんど告白のような気がする。この一言でラストは全て加藤が持っていった感まである。現実世界で倫也と加藤はどんな物語を紡いでいくのか。次は加藤メインの話が来そうな予感。あとがきによると次巻はGirls Sideの第二弾になる予定とのこと。今回の物語の裏で美智留と詩羽先輩はどのような話をしていたのか、加藤と英梨々の仲直りはどのように決着するのかなど、倫也のいない場面のことが書かれるらしい。Girls Sideは番外編的な扱いであるが、本編以上に物語において重要だったりするので待ち遠しい。

2015年11月18日水曜日

ロシア帝国とアメリカ合衆国の地理的な類似性

ロシア帝国とアメリカ合衆国には地理的な類似性が多く見られる。両国は今でこそ世界の大国であるが、ヨーロッパの辺境という位置付けから歴史が始まっている。ロシア帝国の前身となるロシア・ツァーリ国はキリスト教世界において最も東に位置する国であり、モンゴルなど遊牧民族との境界に当たるロシア平原を基盤としていた。16世紀末にウラル山脈を越えてシベリアへと領土を拡大し、やがて太平洋に到達した段階でロシア帝国の原型をつくりあげた。一方、アメリカ合衆国はイングランドの植民地として始まり、キリスト教世界において最も西に位置する地域であった。北米大陸の大西洋沿岸を基盤としていた植民地は大英帝国からの独立時期に西部開拓を本格化させて、ロッキー山脈を越えて太平洋に到達した。

どちらもヨーロッパの辺境から始まり、太平洋に至るまで領土を拡大した点が共通している。大陸の東西に広がる国土を有し、大西洋と太平洋の二つの大洋に面する国は両国を除くとカナダしか存在しない。ロシア帝国、ソビエト連邦が超大国として世界に影響力を及ぼしたのは、ヨーロッパとアジアのどちらにも干渉できる位置にあったためであり、これは現在の超大国であるアメリカ合衆国も然りである。ナチスドイツはヨーロッパに、大日本帝国はアジアに大きな影響を与えたが、あくまでも地域大国としての存在感しかなかった。全世界に影響を与える覇権国家として君臨したのは大英帝国、ロシア帝国、ソビエト連邦、アメリカ合衆国のみであると思われる。近年は中国の大国化が著しいが、地理的にヨーロッパへの干渉が不可能な中国が地域大国から超大国に飛躍することは難しいだろう。今のところアメリカ合衆国の対抗軸となりうるのは、中国とロシアの同盟、あるいはドイツとロシアの同盟であり、中国とドイツ単独では地政学的な観点からアメリカ合衆国に対抗することは不可能である。ロシアはアメリカ合衆国と並んで、地理的に特別な存在なのである。

ロシア帝国の首都サンクトペテルブルクは国の最西端に位置し、ヨーロッパとの結節点に当たる。これはアメリカ合衆国の経済的中心地であるニューヨークが国の最東端に位置し、ヨーロッパの結節点となっているのと同じ構造をしている。ヨーロッパの辺境として始まった歴史的経緯によるものであり、サンクトペテルブルクはピョートル1世が西欧文明を取り入れるための窓として、あえて帝国の端に建設したものである。ロシアは社会主義革命によってヨーロッパとの断絶を経験しているため、サンクトペテルブルクは結節点として十分に機能しなかった。ただし、そのような断絶がなければサンクトペテルブルクは史実以上の発展を遂げていた可能性がある。

両国では19世紀後半から産業革命が始まるが、重工業発展の歴史もよく似ている。アメリカ合衆国ではアパラチア炭田とメサビ鉄山が五大湖の水運で結び付けられ、五大湖南岸において重工業が発展した。五大湖はセントローレンス川で大西洋とつながっており、製品輸送の便も良かった。重工業に欠かせない二大資源である石炭と鉄鉱石の産地が近接していたこと、水運を利用できたことが重工業の発展に寄与していたが、ロシア帝国にも同じことが言える。ロシア帝国で重工業が発展したのは黒海北岸であり、ドネツ炭田とクリヴォイログ鉄山がドニエプル川の水運によって結び付けられていた。ドニエプル川は黒海、さらには地中海につながっており、製品輸送の便も問題ない。黒海の港はロシア帝国にとって貴重な不凍港でもある。黒海北岸も五大湖南岸と同じような発展が望めたかもしれない。

両国の重工業地帯が農業地帯と重なっている点も興味深い。黒海北岸にはチェルノーゼムという肥沃な黒土地帯が広がっており、ロシア帝国において穀物生産の中心地となっていた。アメリカ合衆国においても五大湖の西方にプレーリーという肥沃な黒土地帯が広がっており、小麦やトウモロコシの栽培が盛んである。五大湖に面するシカゴは工業都市であると同時に、世界最大の穀物市場が開かれる都市としても有名である。ミシシッピ川と五大湖に接する水運の要衝であったことがシカゴの発展につながり、さらにアメリカ合衆国の全土に農産物を流通させる拠点としての機能を果たした。黒海北岸もドニエプル川やドン川といったロシア内陸につながる大河川が集中する地域であり、穀物生産と水運を上手く結びつけることができればロシア帝国の食糧問題も解決することができたのではないかと思う。五大湖南岸がアメリカ合衆国発展の原動力となったように、ロシア帝国も黒海北岸の開発に注力することで近代国家へと発展を遂げることができたのではないだろうか。

このようにロシア帝国とアメリカ合衆国には地理的な類似性が多く見られ、旧態依然とした帝政が速やかに立憲君主制に移行し、社会主義革命を防止することができていれば、ロシア帝国もアメリカ合衆国のような発展を遂げられていたのではないかと思う。ロシア帝国の跡を継いだソビエト連邦は実際に重工業化の取り組みに成功して、ロシアをアメリカ合衆国に次ぐ世界第二の大国に育て上げている。社会主義国家でこれだけの発展が可能であった以上、ロシア帝国が存続していれば更なる発展が見込めていただろう。ドイツ帝国が1914年に第一次世界大戦に踏み切ったのも、あと10年程度でロシア帝国の近代化が十分に進み、ドイツ帝国の国力を上回ることが恐れられたためだと言われている。ロシア帝国が史実とは異なる経過を辿っていた可能性について考えずにはいられない。

2015年11月15日日曜日

日本のGDPを600兆円に高めるためには

安倍政権は日本のGDPを600兆円まで高めることを政策目標として掲げた。日本のGDPは500兆円を前後しており、20%の上昇目標はかなり野心的と言える。人口減少社会に突入した日本がGDPを増加させるためには、一人当たりGDPを押し上げる必要がある。日本の一人当たりGDPはバブルが崩壊した1990年代から停滞傾向にあり、直近の2014年ではG7の中で6位という悲惨な結果となった。7位のイタリアは財政破綻の危険がある国々PIGSの一員にも数えられるEUの劣等生であるが、そのイタリアとも一人当たりGDPにおいて大差はない。名目の一人当たりGDPを比較した結果であるため、現在の日本が稀に見る円安であることを考えれば、実質の一人当たりGDPではヨーロッパ主要国とそれほど差はないのかもしれない。しかし、失われた20年において日本が他の先進国に追いつかれてしまったのは確かな事実である。アメリカ合衆国の経済はIT産業によって復活を果たし、ヨーロッパの主要先進国も軒並み日本より高い経済成長率を誇っている。先進国の中で日本だけが一人負けしているような状況にある。

日本の一人当たりGDPが停滞してしまったのは何故なのか。その要因を探るヒントとして、一人当たりGDPの高い国に目を向けてみる。一人当たりGDPの高い国には小規模な都市国家が目立つ。1位のルクセンブルク、3位のカタール、8位のサンマリノ、9位のシンガポールなどである。しかし、日本でも東京だけを取り出してみれば一人当たりGDPは世界トップクラスとなるため、これらの都市国家と日本を単純に比較することはできないだろう。注目すべきは北欧諸国とアメリカ合衆国である。北欧諸国は2位のノルウェー、6位のデンマーク、7位のスウェーデンといったように、ヨーロッパでもトップクラスの経済水準を誇る。また、11位のアメリカ合衆国は世界一の経済大国であると同時に、G7で最も一人当たりGDPが高い国である。

北欧諸国とアメリカ合衆国に共通するのは人々の働き方が柔軟で、成長産業への人材の移動がスムーズな点である。成長産業は時間の経過によって移り変わっていくものである。一世を風靡した日本の電機メーカーも現在は衰退の一途を辿っており、代わりにアメリカ合衆国のアップルやグーグルといったIT企業が世界経済の牽引役となっている。日本では終身雇用と年功序列の賃金制度が一般的であるため、優秀な人材がいつまでも衰退する産業に留まることになり、成長産業への労働力の適正な分配が行われない。政府も失業率の増加を恐れて、市場から淘汰される運命にある企業を救おうとする。りそな銀行、東京電力、日本航空はその代表である。企業とは異なるがコメ農家への手厚い支援も、利益を生み出さない産業にいつまでも人材を張り付ける無益な政策である。

北欧諸国は社会保障を充実させることで、柔軟な労働市場を実現している。手厚い社会保障があるために雇用に関する規制は緩やかで、日本に比べて企業は簡単に従業員を解雇することができる。いつでも解雇できるため、新たな採用にもそれほど慎重にならない。人々も失業を恐れずに転職や起業に踏み出すことができる。アメリカ合衆国は成果主義が社会に根付いており、企業と従業員の関係はドライなものである。企業は実績に応じて従業員の給与を変動させて、時には解雇に追い込むこともある。従業員も他の企業から条件の良い仕事を提示されれば、簡単に別の企業に移る。企業も個人も利益を求めて柔軟に動くことで、産業の新陳代謝が行われる。政府も市場原理に任せて、大企業だから救済するというようなことがない。リーマンショックを機に、自動車業界ビッグスリーのクライスラー、ゼネラル・モーターズが相次いで経営破綻に追い込まれたのは記憶に新しい。

北欧諸国やアメリカ合衆国をそのまま手本として真似することは難しいが、利益を生まない産業から利益を生む産業に人々がスムーズに移動できるような環境を整備することこそ、GDP600兆円に向けて政府が行うべき仕事である。また、一人当たりGDPの上昇だけではGDP増加は望めない。第一次ベビーブーム世代、第二次ベビーブーム世代が死亡することで、今後の日本は恐ろしい人口減少に直面する。一人当たりGDPの増加だけでは人口減少によるGDPの縮小に抗うことはできない。速やかに出生率を2.0以上に回復させて、将来の生殖可能な人口を増やさなければ、日本の人口を再び元の水準に戻すことは難しくなる。長期的な視点からGDPの増加を目指していくのであれば、少子化対策こそ日本で最も重要な政策となる。

国を挙げて早くから少子化対策に取り組んできたフランスは先進国の中で人口が増加している珍しい国であり、人口減少が止まらない隣国ドイツの人口を2050年代には追い抜く予測がされている。ナポレオン時代のフランスがヨーロッパの最強国家であったのは、農業生産力の高いフランスがヨーロッパの人口大国だったためである。イギリスの二倍の人口を抱えていたフランスは当然兵力もイギリスの二倍であり、圧倒的な陸軍力によってヨーロッパ大陸を席巻することができた。その後のフランスはヨーロッパで一早く少子高齢化に見舞われたことが仇となり、産業、軍事、あらゆる面で他の列強の後塵を拝するようになってしまった。19世紀後半からフランスとドイツの地位が逆転したのは、フランスが文字通りの老大国となってしまったためである。二度の世界大戦で辛酸を舐めたフランスは人口こそ国力の礎であることを学び、100年がかりでドイツを追い抜く計画を立てた。フランスの教訓を日本も活かさなければならない。

2015年11月10日火曜日

広島に帝国大学が存在しない理由

帝国大学とは明治政府が日本の最上位の教育機関および研究機関とするべく設立した大学のことである。本来は帝国大学といえば現在の東京大学のことを指していたが、京都帝国大学の設立以降は帝国大学令に基づいて設立された大学群を総称して帝国大学と呼ぶようになった。1886年に東京帝国大学、1897年に京都帝国大学、1907年に東北帝国大学、1911年に九州帝国大学、1918年に北海道帝国大学、1931年に大阪帝国大学、1939年に名古屋帝国大学が設立された。植民地であった朝鮮のソウル、台湾の台北にも帝国大学が設立されている。各地方に一つずつ帝国大学が設立された。

しかし、何故か帝国大学が設立されなかった地域がある。それは中国・四国地方である。中国・四国地方の中心都市である広島には旧帝国大学が存在しない。東京、大阪、名古屋の三大都市に次ぐ日本の都市といえば、札幌、仙台、広島、福岡の四都市であり、「札仙広福」の通称で知られる。札幌には北海道大学、仙台には東北大学、福岡には九州大学が存在するが、広島には中国大学なるものが存在しない。広島には帝国大学が設立されなかったにも関わらず、関西には京都帝国大学の他に大阪帝国大学も設立されている。地理的な分布を考えれば、京都と大阪という隣接した地域に二つも帝国大学が並んでいる一方で中国・四国地方に帝国大学が設立されなかったというのはおかしい。

戦前の広島は決して冷遇されていたわけではなかった。むしろ後の原爆投下につながったように、海軍の一大拠点として整備された地域である。広島に隣接する呉は全国に四か所しかない鎮守府が置かれた地域である。横須賀、舞鶴、佐世保と並ぶ軍港として発展を遂げ、現在に至るまで造船業の盛んな地域となっている。日清戦争では広島城に大日本帝国軍の大本営が設置され、1894年から1年間に渡って明治天皇は広島で戦争の指揮を執った。この時期は帝国議会も広島で開かれ、広島は臨時の首都として機能した。これは明治維新以降、首都機能が移転した唯一の事例である。前述の札仙広福の中では一歩リードしていたと言っても過言ではない。

このような経緯もあり、軍都広島には早くも1888年に海軍兵学校が進出していた。正確には広島に隣接した江田島に、東京築地から海軍兵学校が移転してきた。坂の上の雲で秋山真之が海軍兵学校の江田島への移転によって故郷の伊予松山に近くなったことを喜ぶシーンがあったと思うが、この時期のことである。海軍兵学校は海軍の士官養成学校で、海軍将校のほとんどは海軍兵学校の卒業生である。当時は陸軍と海軍の権力が現在と比べ物にならない程強く、軍人は官僚、政治家、実業家と並ぶくらいエリートに人気のある職業であった。実際に秋山真之も東京帝国大学への進学を捨てて、海軍兵学校に入学している。既に帝国大学と並ぶ存在の海軍兵学校が存在していたため、広島に帝国大学を設立しようとする動きが出なかったものと思われる。

東京と京都に続いて各地方に次々と帝国大学が設立されると、広島と金沢にも帝国大学を設立しようとする動きが出てきた。ただし、中国、四国、北陸は地理的に近い関西の影響力が強い地域である。これらの地方の優秀な人材は広島や金沢に留まることなく、京都や大阪に出る傾向にある。東京が全国から人を集めるのと同じように、京都と大阪も全国とまではいかないまでも、関西を超えた広い範囲から人を集める力を持っている。京都帝国大学と大阪帝国大学は中国、四国、北陸を含めた西日本全域をカバーする大学として設立されたと考えれば、広島に帝国大学が設立されなかった理由も、関西だけ二つも帝国大学が存在する理由も理解できる。

2015年11月9日月曜日

北海道の地熱発電開発

地熱大国日本において最も地熱資源が豊富な都道府県は北海道である。しかし、これまで地熱発電の開発が進んできたのは主に東北と九州だった。北海道には1982年に北海道電力が運転を開始した茅部郡森町の森地熱発電所しか存在しない。北海道の地熱資源の多くが大雪山国立公園内にあり、環境省の規制によって開発が制限されてきたためである。2012年に始まった再生可能エネルギーの固定価格買取制度と時期を同じくして、国立公園の開発規制も緩められており、北海道では近年いくつかの開発計画が浮上している。

大雪山の麓に位置する上川郡上川町は開発計画が進む地域の一つである。北海道でも有数の温泉地である層雲峡温泉から数kmの距離にある白水沢地区において、総合商社の丸紅が開発計画を進めている。丸紅は総合商社の中では三菱商事、三井物産、伊藤忠商事、住友商事に次ぐ五番手であるが、電力事業に関しては総合商社一の実力を持つ。海外の発電所建設に積極的に投資しており、所有する発電容量の合計は1000万KWを超える。国内においても発電所の開発に積極的で、白水沢地区における地熱発電もその一環である。産業の乏しい上川町にとって地熱発電事業は長年の悲願であった。自治体が積極的であるためか、層雲峡温泉も計画には理解を示しているようである。

一方、札幌市南区の豊羽地区で進む開発計画は地元の理解が得られていない。豊羽鉱山はインジウムの産出量で世界1位の鉱山であったが、地熱の影響で採掘が困難となったため2006年に閉山した。エネルギー事業を行うJXグループに属することもあり、豊羽鉱山は閉山の原因となった地熱を用いて地熱発電所を開発する計画を進めている。しかし、豊羽鉱山の近隣には札幌の奥座敷として名高い定山渓温泉が控えている。バブルの全盛期に比べて客足は遠のいてはいるが、札幌という大都市圏に隣接する地の利を活かして、定山渓温泉は北海道一の温泉地として現在も活況を呈している。温泉地にとって開発計画は受け入れられるものではなく、行政も辺境の問題に積極的に口出しをする気配はないようである。

釧路市の阿寒地区で進む開発計画は、釧路市長自らが計画に断固反対の姿勢で完全に頓挫している。阿寒地区は国の特別天然記念物マリモが生息する阿寒湖で有名な地域で、温泉への影響よりもマリモを含めた自然環境への影響が懸念されている。マリモは湖の波、水温、水質など複数の条件が揃うことで初めて生息することが可能になる。阿寒湖のマリモは過去に周辺の開発によって絶滅の危機に瀕したことがあり、観光業に依存する地元ではマリモへの影響に非常に敏感である。こちらもエネルギー業界大手の石油資源開発が開発を検討しているが、行政と地元がタッグを組んで計画に反対しているため、なかなか進展は見られないと思われる。

余市郡赤井川村では阿女鱒岳地区において、国際石油開発帝石と出光興産が開発計画を進めている。周辺に有名な温泉地が存在しない赤井川村では地元の反対がほとんど見られない。標津郡標津町でも武佐岳地域において、石油資源開発が開発計画を進めているが、こちらも赤井川村と同様に地元の反対は見られない。有名な温泉地が存在しないというのが一番の原因だと思われるが、行政は地熱発電に期待の眼差しを向けている。赤井川村は農業、標津町は漁業に依存しており、地熱発電は地域の新しい産業として大いに期待されている。札幌市や釧路市と異なり、地域の存続すら危ぶまれる小規模自治体では、地熱発電の開発計画というのは滅多にない明るいニュースであり、行政の支援を受けて開発はスムーズに進んでいくと思われる。

地熱発電の開発には10年以上の期間を要する。まずは発電に必要な地熱貯留層の有無を確認するため、複数の地点を大型の機械で掘削しなければならない。蒸気が得られない、温度が足りないなどの理由から、多くの計画はこの段階で頓挫することになる。地熱貯留層を掘り当てたとしても、温泉事業者や行政といった地元の理解が得られなければ開発は困難になる。群馬県の草津温泉のように隣接する嬬恋村の地熱発電開発に対して反対運動を展開して、計画を中止に追い込む事例も見られる。環境アセスメントにも時間がかかり、生産井と還元井を掘削して発電所を建設するまでには膨大な時間がかる。上記の開発計画は始まったばかりであり、地元の同意が得られたとしても実際の運転開始は2020年代になると思われる。これは地熱発電に限った話ではなく、火力発電所や原子力発電所の建設においても同じことが言える。エネルギー事業に長期的な視点が欠かせない所以である。

2015年11月8日日曜日

酒類業界の再編 キリンサントリーVSサッポロアサヒの二強体制になるか

酒類業界の世界的再編が進んでいる。ビール業界1位のアンハイザー・ブッシュ・インベブ(ベルギー)は業界2位のSABミラー(イギリス)を買収する予定であり、合併後の世界シェアは3割に達する。ベルギーのインターブリューが2004年にブラジルのアンベブと合併し、2008年にアメリカ合衆国のアンハイザー・ブッシュを買収して、業界1位のアンハイザー・ブッシュ・インベブは誕生した。2000年代に入ってから、世界のビール業界は急激な再編期を迎えている。SABミラーは業界3位のハイネケン(オランダ)を買収してアンハイザー・ブッシュ・インベブに対抗しようとしたが、ハイネケンの買収に失敗して自らが飲みこまれる形となった。業界2位の大企業だけあって、SABミラーの買収額は12兆9000億円という聞いたこともないような金額になる。

日本の種類業界も国内市場の成長が見込めないため、近年は海外メーカーを積極的に買収している。海外進出に最も積極的なキリンは2009年にオーストラリアのビール業界2位ライオンネイサン、2011年にブラジルのビール業界2位スキンカリオールを買収している。飲料メーカーの売上は小売店や飲食店との関係に左右されるため、海外市場に進出するためには現地メーカーの買収が欠かせない。サントリーも2014年にアメリカ合衆国の蒸留酒市場において2番手のビームを1兆6500億円で買収した。アサヒは中国市場への進出に強みがあり、中国のビール業界2位の青島ビールと提携関係にある。サッポロも上位3社に遅れてはいるが、ベトナムにビール工場を建設して東南アジアへの進出を図っている。

しかし、国内における業界再編は世界に比べて遅れており、日本の種類業界は長らくキリン、アサヒ、サントリー、サッポロの四強体制が続いている。ビールに関してはスーパードライという化物ブランドを持つアサヒがトップを走り続け、酒類全体の売上ではキリンがトップの座を維持してきた。近年はサントリーが好調で、2000年代後半からサントリーの快進撃が見られるようになる。サントリーはウイスキーで有名な会社で、ビール事業は1963年の開始から常に赤字が続いていた。そんなサントリーのビール事業を救ったのが、ヨーロッパのモンドセレクションで最高金賞を3年連続で受賞したザ・プレミアム・モルツであった。ザ・プレミアム・モルツはサッポロのヱビスビールを抜いて、プレミアムビールにおいてトップの地位を築き上げた。ビーム買収によって売上高を伸ばしたサントリーは2014年度の売上高でキリンを超え、ついに国内の酒類業界1位の座に躍り出た。キリンは純利益においてサントリーとアサヒの後塵を拝するようになり、業界の構図は一変した。
 
サントリーとキリンは2000年代後半に経営統合交渉を行っていたことが知られている。酒類業界の世界的再編が進む中で、海外メーカーからの買収を防ぐため、また海外市場に進出するため、統合による規模の拡大は欠かせない。しかし、サントリーは創業家の資産管理会社である寿不動産が株式の9割を有する大企業としては特殊な会社で、創業家の鳥井家と佐治家が経営を独占している。統合の比率によってはサントリーの創業家がキリンを乗っ取ることになるため、この統合交渉は破談に終わった。キリンはサントリーの価値を自社の半分と見積もって統合交渉に臨んだが、これはサントリーとしては受け入れられるものではなかった。

現在、サントリーはキリンを抜かして国内トップの地位に立った。佐治信忠が外部より招聘した新社長の新浪剛史はローソンの社長を務めていたが、元は三菱商事の出身である。キリンは三菱グループの代表的企業であり、新浪剛史の社長就任によってサントリーはキリンと三菱という絆で結ばれることになった。前回の統合交渉破綻は三菱グループがキリンの流出を恐れたことが一因とされている。新浪剛史の社長就任はサントリーの三菱グループ入りと引き換えに、サントリーによるキリンの統合が内々に認められたことを意味すると思われる。

サントリーとキリンの統合に対して、アサヒとサッポロはどう立ち向かうか。実は両社は戦前は大日本麦酒という同じ会社に属していた。アサヒの前身である大阪麦酒、サッポロの前身である札幌麦酒、ヱビスビールを製造する日本麦酒が1906年に合併して誕生した会社で、市場占有率の高さから戦後にアサヒとサッポロに分割されることになった。キリンサントリーが誕生すれば、対抗してサッポロアサヒが生まれる可能性は十分にあるだろう。キリンサントリーとサッポロアサヒで国内ビール市場のシェアを半分ずつ占める形となるため、国内での競争促進の観点から両社の合併は認められるものと思われる。酒類業界は二強体制に再編されるかもしれない。

また、酒類業界の再編は流通業界との関係を変える可能性がある。流通業界はセブン&アイとイオンの二強体制となっているが、近年はコンビニ業界におけるセブンイレブンの圧倒的優位性からセブン&アイが利益面でイオンを大きくリードするようになっている。セブン&アイという共通の敵を持つイオンとコンビニ業界2位のローソンはどちらも三菱商事を筆頭株主とする三菱グループの一員であり、三菱商事によって両社の合併が主導される可能性がある。メーカーが多くの小売店に自社商品を売って欲しいと思うように、小売店も客を増やすために多くのメーカーの商品を揃えたいと思う。そのためメーカーと小売店が特別に強固な関係を結ぶことはあまりなかった。しかし、キリンとサントリーの統合、イオンとローソンの統合が状況を変えるかもしれない。キリンサントリーは圧倒的な商品の種類、イオンローソンは多様な販売ルートを持つようになる。そのため三菱グループの関係を活かして、キリンサントリーはイオンローソンに優先的に商品を提供、イオンローソンもキリンサントリーの商品を優先的に取り扱うという禁断の関係に足を踏み入れることができるようになるかもしれない。その場合はセブン&アイがサッポロアサヒと提携するようになるだろう。メーカーにとっても小売店にとってもリスクのある選択だが、可能性は十分に考えられる。

2015年11月7日土曜日

京都アニメーション作品の聖地

◆兵庫県西宮市(涼宮ハルヒの憂鬱)
ハルヒとキョンが通う北高は実在する高校で、作者である谷川流の母校でもある。週末にSOS団の待ち合わせ場所となる西宮北口駅も阪急神戸線の駅で、アニメにおいて完全に再現されている。阪急沿線は関西において富裕層が多く住む地域で、SOS団の活動が高校の部活動というより小洒落た大学生のサークル活動のような雰囲気を見せるのも、西宮の地域性によるところが大きいと思う。京都アニメーションは西宮という舞台を上手く作品に取り込むことで、原作の雰囲気を映像化することに成功した。
 
◆埼玉県久喜市(らき☆すた)
柊かがみ、柊つかさの実家である鷲宮神社は文字通りファンの信仰の対象となっている。鷲宮神社は関東で最も古い伝統ある神社であるが、らき☆すたキャラの絵馬が大量に奉納されていることの方が有名。アニメを用いた町おこしの先駆けとも言える存在で、神社の参拝客はアニメ開始から急激に増加した。鷲宮神社を起点としたアニメファンの聖地巡礼は町の観光の重要な柱となっている。

◆青森県上北郡横浜町(CLANNAD)
CLANNADは基本的に東京が舞台であるが、智也が汐と初めて旅行した菜の花畑が印象的なため、聖地といえば青森のような気がする。横浜町は菜の花で有名な下北半島の町で、AFTER STORY18話のタイトル通り大地の果てである。風と菜の花以外に何もない終末を思わせる寂しい土地で、幻想世界の儚いイメージにもマッチする。この土地を選んだ京都アニメーションは慧眼である。

◆滋賀県犬上郡豊郷町(けいおん!)
豊郷小学校の旧校舎は唯たち軽音部が通う桜ヶ丘高校のモデルとして知られる。なぜ小学校の旧校舎が高校のモデルになったのかというと、豊郷小学校は普通の小学校ではないためである。旧校舎は日本で多くの西洋建築を設計したウィリアム・メレル・ヴォーリズの作品の一つで、東洋一の小学校という異名を持つほどであった。豊郷小学校を卒業した実業家が当時の町の予算の10倍を費やして建築したためで、あまり知られていない地元の一流建築物に目を付ける当たり、京都アニメーションは流石である。

◆岐阜県高山市(氷菓)
作者である米澤穂信の出身地であり、神山市という名前も明らかに高山市をモデルにしている。伝統ある古典部と江戸時代の面影を残す高山の古い町並みは見事にマッチする。一方で豪農の娘である千反田えるを中心に作品を包み込む閉鎖的な雰囲気は、高山が古い町であるということと、高山の盆地という地形によるものであるかもしれない。京都アニメーションの作画力が惜しみなく発揮された作品で、背景の美麗さは群を抜く出来となっている。高山市もアニメによる町おこしに力を入れている。

◆滋賀県大津市(中二病でも恋がしたい!)
六花は勇太と一緒に不可視境界線を二回見つけている。告白シーンとラストの逃避行シーンであるが、どちらも琵琶湖の対岸に揺れる街明かりが不可視境界線のイメージとなっている。六花が夜の活動を好むのも、不可視境界線が夜にならないと現れないためかもしれない。滋賀県は県全体が琵琶湖を中心とした一つの盆地となっており、琵琶湖の沿岸であれば、どこでも対岸の街明かりを見ることができる。しかし、対岸にあるが故に不可視境界線はどこまで行っても近付くことはできない。此岸と彼岸が琵琶湖を用いて見事に映像化されていると言える。

2015年11月6日金曜日

アニメ制作会社の盛衰 京都アニメーション・シャフト・A-1 Pictures

2000年代後半は京都アニメーションの時代であった。2006年春に涼宮ハルヒの憂鬱で一躍有名になった京都アニメーションはヒット作品を連発。涼宮ハルヒの憂鬱、Kanon、らき☆すた、CLANNAD、けいおん!といった2000年代後半の京都アニメーション作品はいずれも1万枚以上の売り上げを誇る。1万枚以上の売り上げがあるとヒット作として認知されるが、涼宮ハルヒの憂鬱、けいおん!の2作品については4万枚以上の売り上げとなり、社会的にも知られる作品となった。安定した作画で知られ、京都アニメーション作品と言えば放送前から成功が約束されたようなものであった。京都アニメーションの作品は常にそのクールの覇権候補筆頭であった。

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京都アニメーションの低迷と入れ替わるように飛躍したアニメ制作会社がシャフトである。2009年の化物語と2011年の魔法少女まどか☆マギカは7万枚以上の売り上げを誇るメガヒット作品で、一躍シャフトを有名にした。化物語と魔法少女まどか☆マギカは恐ろしい作品で、この2本のみで2000年代後半の京都アニメーション作品全体の売り上げに匹敵する。メガヒット作品を短期間に2本も製作したことで、シャフトは京都アニメーションを超えるアニメ制作会社として認知されるようになった。魔法少女まどか☆マギカがオリジナル作品であったことから、シャフトは実力あるアニメ制作会社の筆頭に躍り出た。

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京都アニメーションが低迷し、シャフトもピークを過ぎた現在、次世代を担うアニメ制作会社はどこになるのか。これはA-1 Picturesになるのではないかと予想する。A-1 Picturesはアニプレックスが設立したアニメ制作会社だけあって資金と労働力には定評があり、1クール2本のペースで作品を発表し続けている。作画が安定しており、京都アニメーションとも遜色ないレベルに達している。シャフトのような個性は感じられないが、原作を忠実にアニメ化しているため安心感がある。特に四月は君の嘘で見られた演奏シーンのこだわりは今後の飛躍を期待させる出来であった。フジテレビと仲が良く、ノイタミナ枠を定期的に確保できることも強みである。全盛期の京都アニメーションのように、安定してヒット作を出すアニメ制作会社になってくれればと思う。

2015年11月3日火曜日

北陸電力と中部電力 合併の可能性

北陸電力は電力業界の優等生である。震災後、全国の原子力発電所が停止して、多くの電力会社は電気料金の値上げに追い込まれた。北海道電力と関西電力に至っては、既に二回も値上げを行っている。その一方、原子力発電所の停止に苦しみながらも、電気料金の値上げを一度も行っていない電力会社が存在する。それは北陸電力と中国電力である。特に北陸電力は発電コストの低い水力発電所を多く有しており、北陸地方は全国で最も電気料金の安い地域となっている。北陸電力は電力業界の優等生と言えるだろう。

しかし、北陸電力は将来苦境に陥る可能性がある。まず、一つ目の要因として志賀原子力発電所の再稼働が困難なことが挙げられる。志賀原子力発電所は能登半島西部に位置し、1993年に運転を開始した比較的新しい発電所である。震災前は北陸電力の電源構成の三割を担い、中部電力や関西電力にも電力を供給していた。ただし、原子力規制委員会から原子炉建屋直下に活断層が存在する可能性が指摘されている。東北電力の東通原子力発電所も発電所構内に活断層が存在する可能性が指摘されているが、志賀原子力発電所の場合は原子炉建屋の直下であるため、クロと判断されれば大規模な改修工事が必要となり、経営判断として廃炉になる可能性も否めない。原子力規制委員会は活断層が存在しないことを証明するように求めているが、これはそもそも悪魔の証明で電力会社にはどうすることもできない問題である。社会がどこまでリスクを許容できるのかというリスク論の問題として議論しなければ意味がないはずなのだが、なし崩し的に廃炉まで追い込まれそうな状況である。福島第一原子力発電所と同じ沸騰水型の原子炉であることも再稼働の障害となるだろう。

さらに石炭火力の規制が北陸電力に致命傷を与える可能性がある。震災後、発電コストの低い石炭火力発電所の新増設計画が次々と浮上しているが、石炭火力は二酸化炭素排出量が多く、政府の環境政策とは逆行する動きである。そのため経済産業省は2016年度から火力発電に占める石炭火力の割合を5割までとするように電力会社に求める方針である。北陸電力は現時点でLNG火力発電所を有していない。富山新港火力発電所の石炭火力をLNG火力(42.47万kW)にリプレースする計画ではあるが、既存の石炭火力を次々とLNG火力にリプレースしていかなければ、北陸電力が石炭火力を5割に抑えることは難しい。東京電力や関西電力といった規模の大きな電力会社ほどLNG火力の導入が進んでおり、北陸電力のような地方電力は今後石炭火力の規制に苦しめられるだろう。発電コストの低い石炭火力は水力発電と並んで、北陸電力の競争力の源となっていたため、今回の石炭火力の規制は北陸電力の屋台骨を揺るがす事態である。

志賀原発の活断層と石炭火力の規制で苦境に陥る北陸電力は今後どうなるのか。北陸電力は北海道電力、四国電力と並んで規模の小さな電力会社である。志賀原子力発電所の大規模改修、最悪の場合は廃炉に耐えるだけの経営体力があるのか。一歩間違えれば、北陸電力も北海道電力のような財務状況に陥りかねない。そのため北陸電力は意外にも、電力会社の合併第一号となる可能性がある。10年後の電力業界・ガス業界では電力業界とガス業界がいずれ3グループに集約していく可能性について論じ、北陸電力は関西電力と同じグループを形成していくのではないかと予想した。北陸電力は競争力の強い電力会社であるため、あくまでも対等な関係で緩やかに関西電力とグループを形成していくと考えていたのである。しかし、石炭火力の規制によって状況は変わった。北陸電力は直ちに他社との合併に追い込まれる可能性がある。

北陸電力の合併相手として想定されるのは関西電力ではなく中部電力である。関西電力は原子力発電への依存度が高いために財務状況が芳しくなく、志賀原子力発電所の面倒まで見る余力はない。一方、中部電力も浜岡原子力発電所の停止によって赤字に追い込まれたが、原子力発電への依存度が低いために大手電力の中では比較的良好な財務状況である。志賀原子力発電所の再稼働を支援できるのは中部電力をおいて他にない。中部電力は東京電力、関西電力と並んでLNG火力の比率が高いため、北陸電力は中部電力と合併することで石炭火力5割の規制をクリアすることもできる。中部電力にとっても北陸電力の持つ水力発電所と石炭火力発電所はコスト競争力を高める上で魅力的であり、首都圏や関西圏に進出する上で強力な武器になるだろう。ウィンウィンの関係を築ける北陸電力と中部電力の合併、その可能性は決して低くはないと思われる。

2015年11月2日月曜日

アフリカ諸国が発展途上国から抜け出せない理由

第二次世界大戦後、欧米列強の植民地は相次いで独立を果たした。独立の時点において、アジアの植民地もアフリカの植民地も経済力において大きな差はなかった。どちらの地域もプランテーション農業と資源産業の他に大した産業はなく、近代的な都市といえば欧米人が暮らす港湾都市しか存在しなかった。しかし、アジアの植民地は独立後に急速な発展を遂げるようになる。例えば、天然ゴムのプランテーション農業と錫鉱山しか取柄のなかったマレーシアはイギリスからの独立後に急速な工業化を果たした。先進国メーカーの下請けとして工業化を図り、現在は一人当たりGDPが1万ドルを突破する中進国にまで成長した。マレーシアには劣るが、同じ東南アジアに位置するタイやインドネシアも工業化に成功して中進国への道を歩んでいる。

一方、同じ熱帯という条件を持ちながら、多くのアフリカ諸国は発展途上国から抜け出せないままでいる。観光業に特化した島国であるセーシェルやモーリシャス、産油国であるリビアや赤道ギニアを除くと、中進国と呼べるのは南アフリカくらいである。マレーシアのように工業化に成功した国は皆無で、植民地時代から続くプランテーション農業と資源産業が経済を支える唯一の産業となっている。近年は資源価格の高騰が追い風となり、アフリカの資源国は高い経済成長率を誇るようになった。しかし、国民の教育水準が低く、資源頼みの経済成長には限界がある。

発展途上国の中でアフリカ諸国だけが発展できないのは何故なのか。民族の分布を無視した植民地時代の国境が内戦や隣国との戦争につながっているためか。エイズやマラリアなど感染症の蔓延が深刻なためか。東南アジアの国々のように輸出志向型の工業化を進めなかったためか。どの問題もアフリカ諸国の大きな課題であるが、最大の問題はアフリカの食糧生産力に対して人口が増え過ぎていることにあると思う。多くのアフリカ諸国が独立したためにアフリカの年として知られる1960年に比べて、アフリカの人口は現在4倍にまで膨れ上がったが、食糧生産力は2倍にも達していない。アフリカ大陸は南北の僅かな地域が温帯気候に属し、コンゴ盆地が熱帯雨林気候に属する他は、ほぼ全ての地域が乾燥気候に属する。乾燥地域は干ばつに見舞われることも多く、低い農業生産性につながっている。

日本のように海外から食糧を輸入する経済力があれば話は別だが、アフリカ諸国のような発展途上国では食糧を輸入する外貨さえ不足している。また、十分なインフラ整備がされていないため、食糧を輸入しても港湾都市から国内の地域へ食糧を輸送することができない。そのような状態で食糧生産力が低いまま、人口だけが増加するとどうなるか。人々は教育を受ける余裕もなく、その日生きていくために日雇いの労働を強いられたり、畑でイモを栽培するしか術がない。あるいは犯罪に手を染めたり、紛争に向かう兵士となるだろう。結果的にいつまでも貧困から抜け出せない状態が続く。

東南アジア諸国は1960年代から始まる緑の革命によって、米の生産量を数倍に増加させることに成功した。食糧不足の心配がなくなったことで、農業から工業への労働力の移動にも耐えられる社会となり、その後の工業化と経済発展につながった。イギリスも産業革命が始まるきっかけとして、農業革命が起きていることが知られる。ノーフォーク農法で知られる輪栽式農業によってイギリスは農業生産力を向上させ、産業革命の時代に突入することができた。産業化や経済発展の基礎は農業生産性の向上にあり、その初歩的な段階をクリアできなければアフリカ諸国の発展は難しい。

アフリカ大陸は人口爆発の真っ最中で、2050年にはアフリカ最大の人口大国であるナイジェリアの人口がアメリカ合衆国と並んで4億人に達する見込みである。エチオピア、コンゴ民主共和国、エジプト、タンザニアの人口も1億人を突破し、世界の4人に1人がアフリカ人となる。しかし、農業に適さないアフリカ大陸は既に人口の限界に達しており、これ以上の人口増加は経済発展の阻害要因となる。中国の一人っ子政策は少子高齢化のような問題も生み出しているが、発展途上国から抜け出すためにもアフリカ諸国はまず人口抑制策に取り組む必要がある。食糧生産力に見合うだけの人口に抑えれば、人々は生活の心配をせずに教育や産業化に専念することができ、アフリカ諸国の経済も成長軌道に乗るだろう。人口減少が大きな問題となっている日本からすれば意外ではあるが、人口増加は必ずしも良いものとは限らない。アフリカ諸国の場合は人口減少が経済をテイクオフさせる鍵となるだろう。

2015年11月1日日曜日

どうすれば伊達政宗は天下を取ることができたか

伊達政宗は遅く生まれてきた戦国時代の英傑で、あと10年早く生まれていれば天下を取ることができたとよく言われる。伊達政宗が生まれたのは1567年、織田信長が美濃から斎藤氏を追放して本格的に天下取りに動き始めた年である。翌年には早くも足利義昭を奉じて上洛して、織田政権を樹立している。奥羽の田舎に生まれた政宗がここから巻き返しを図るのは時間的に難しく、そこで「あと10年早く生まれていれば」という言説が出るようになった。

しかし、政宗があと10年早く生まれたとして、天下を取ることはできたのか。当時の奥羽は中小の大名が割拠する地域で、大きな勢力は二つしかなかった。一つは置賜の伊達家、もう一つが会津の蘆名家である。奥羽において国持ち大名に匹敵する勢力を誇るのは伊達家と蘆名家しか存在せず、室町幕府が認定した全国の大名家で奥羽から選ばれたのも、この二家だけである。実は政宗があれほど急速に勢力を伸ばすことができたのは、蘆名家の全盛期を築き上げた盛氏が男子を残さずに死亡したためであり、政宗があと早く10年早く生まれても全盛期の蘆名家と対峙しなければならず、奥羽の統一は難しい。

蘆名家は盛氏の死後、二階堂家出身の盛隆、佐竹家出身の義広と他家出身の当主が続き、求心力が衰えていった。その隙を突いて、政宗は蘆名家を滅ぼして会津を治めることに成功したのである。会津を手に入れた伊達家は奥羽において圧倒的な勢力を誇るようになり、現在の福島県中通りに割拠する中小の大名や現在の宮城県を治める大崎家と葛西家を従えるようになった。20代前半という若さで伊達家をこれほどの勢力に押し上げた政宗は織田信長以上の英傑に見える。しかし、政宗の成功はライバルである蘆名家の自滅と、他に大きな大名がいない奥羽という地理的条件によるものであり、決して政宗の才覚のみによるものではない。

とはいうものの、政宗にも天下取りの機会は十分にあった。秀吉政権は奥羽と関東の大名に対して、大名間での私闘を禁じる惣無事令を発しているが、政宗はこれを破って蘆名家を攻め滅ぼした。さらに関東の北条家とは同盟関係にあり、小田原征伐への参陣が遅れたことで秀吉政権から冷遇されることになった。結果的に蘆名家から奪った会津は秀吉政権に没収され、米沢72万石のみが安堵され、さらに葛西大崎一揆を扇動した罪で後の仙台藩につながる岩出山58万石に減封されることとなった。しかし、秀吉政権に早くから従った上杉家は惣無事令の下でも秀吉の許可を得て新発田重家を攻め滅ぼしている。つまり秀吉の天下統一に協力する大名には、それなりの勢力拡大は認めるということである。政宗も北条家との縁を切り、早くから秀吉政権に従うべきであった。秀吉政権の下で南奥羽に100万石を超える大領を有することも可能であっただろう。

中央の政権に従わずに独立して動くには最低100万石の軍事力が必要である。徳川家康も三河、遠江、駿河に加えて甲斐と信濃を獲得したからこそ、秀吉政権と渡り合うことができた。もし政宗が南奥羽に100万石を超える領土を有していたら、秀吉死後に徳川家康と渡り合っていたのは上杉景勝ではなく伊達政宗となっていただろう。石田三成のクーデターによって、上杉征伐に向かっていた家康は東西から挟撃される形となった。しかし、上杉景勝は江戸に向かわず山形に向かって、最上家の攻略を行った。上杉家が短期的な勢力拡大に走ったことで家康は命拾いして、関ヶ原の戦いで勝利することができた。

しかし、政宗が上杉景勝の立場で家康を追撃していたらどうなったか。家康は政宗に備えて江戸を離れることができなかったかもしれない。家康は石田三成がクーデターを起こした後もしばらく江戸を離れず、福島正則や黒田長政といった東軍諸将を濃尾平野に送って、西軍の襲来に備えただけであった。これは上杉景勝の関東侵攻を恐れて動けなかったためであると言われている。政宗が大局的な見地から関東侵攻を決断していれば、西軍との挟撃にあった家康は二正面作戦を強いられることになる。露仏同盟の挟撃によってドイツ帝国が敗れたように、地政学的に家康は不利な状況に追い込まれる。野戦の得意な家康は局地的な勝利を手にすることはできるかもしれないが、いずれ豊臣政権による公式の徳川征伐が始まると、家康に従っていた東軍諸将は豊臣政権側に寝返っていくことになるだろう。

家康の失脚によって、政宗は東国において最大の勢力を誇るようになる。西国の毛利家と東国の伊達家が勢力を拡大し、豊臣政権は名ばかりとなり、伊達家と毛利家が実権を握るようになる。地理的に西国は分権的、東国は集権的な政治体制となりやすい。日本最大の面積を誇る関東平野は東国の中心であり続け、関東平野を押さえた勢力が東国を掌握する。実際に東国の鎌倉幕府や江戸幕府が強い権力を維持し続けたのに対して、西国の室町幕府は守護大名を掌握できずに衰退していった。政宗が東国に集権的な体制を築き上げれば、その若さゆえに天下を取る可能性は十分にある。恵まれた環境を活かすことができずに政宗が仙台藩主で終わってしまったのは、生まれた時期が悪かったからではなく、ひとえに政宗が戦略を誤ったことによるものである。