2015年11月30日月曜日

鉄道開通による鳩ヶ谷の変容

鳩ヶ谷市は2011年に川口市と合併するまで埼玉県南東部に存在した人口6万人の市である。東京都と隣接しているにも関わらず、2001年に埼玉高速鉄道線が開通するまでは鉄道が通っておらず、陸の孤島と揶揄されていた。鳩ヶ谷市は江戸時代の宿場町である鳩ヶ谷宿が発展して成立した町である。日光御成街道の宿場町として、徳川将軍家が日光東照宮を参拝する際には大いに賑わった。しかし、京浜東北線のルートから外れたことで、交通拠点としての地位は隣接する川口市に奪われてしまった。近年まで特産物の植木とブルドッグソースの工場が立地する他に何もない町であった。東京都に隣接しているにも関わらず、1980年代から既に緩やかな人口減少に突入していた。

埼玉高速鉄道線の開通はそのような鳩ヶ谷の状況を一変させた。これまで東京に出るためには、バスで川口駅、西川口駅、蕨駅、赤羽駅のいずれかに行く必要があったが、埼玉高速鉄道線は南北線と直通運転を行っているため、鳩ヶ谷から地下鉄一本で東京都心に出られるようになった。南北線は永田町、溜池山王、六本木一丁目、麻布十番、白金高輪といった東京の中心部を通る他、王子、駒込、後楽園、飯田橋、市ヶ谷、四ツ谷など、JRや東京メトロの他の路線の乗り換えに便利な駅をいくつも通っている。埼玉高速鉄道線の開通は鳩ヶ谷に交通革命をもたらしたと言っても過言ではない。

そして鳩ヶ谷のベッドタウン化が始まる。東京への通勤と通学の利便性が格段に増したことで、鳩ヶ谷はファミリー層にとって居住に適した地域となった。鳩ヶ谷駅の周辺には次々とマンションが建設され、減少していた人口も10年で10%増加するまでに至った。鉄道開通までは高齢者が目立つ町であり、宿場町の面影を残す本町商店街と坂下町の西友周辺にちょっとした賑わいが見られるだけであった。しかし、親子連れやサラリーマンの数が目に見えて増え、鳩ヶ谷駅の周辺にはマンションの他にもスーパー、家電量販店、パチンコ店などが立地するようになった。鳩ヶ谷駅が立地する地域は里と呼ばれ、鉄道開通までは水田や畑が見られる鳩ヶ谷でも田舎の地域であった。それが鉄道開通によって、駅周辺は本町と坂下町の商店街に次いで鳩ヶ谷における第三の中心地に発展した。鉄道開通は鳩ヶ谷市の人口を増加させただけではなく、町の構造まで変えてしまったようである。

鳩ヶ谷市の中心地であった本町にも影響は及んでいる。幸か不幸か開発から取り残されたことで、本町は宿場町としての面影を残していた。大正時代の香りがする洋館、からくり時計、江戸時代創業のうなぎ屋、老舗の酒屋、これらは現在も健在であるが、マンションの開発が進んだことで古き商店街の街並みも崩れてきている。2012年から川口市との合併を記念して、川口宿と鳩ヶ谷宿において日光御成道まつりが開催されている。当時の大名行列を模したパレードで、俳優の松平健や徳川家の現在の当主も参加する鳩ヶ谷としては地味にすごいイベントである。しかし、宿場町の面影が消えつつある現在になってイベントを開催しても遅きに失する感がある。

また、以前から鳩ヶ谷に住む人々の行動範囲も変化した。以前は外に出るには川口駅や赤羽駅にバスで向かう必要があったため、川口、赤羽、さらに京浜東北線で結ばれている浦和、大宮が仕事や遊びの中心地となっていた。しかし、鳩ヶ谷市民は今や川口などには見向きもせずに東京に向かっている。自らを埼玉県民ではなく東京都民だと思っている人が大半なのではないかと思う。筆者も埼玉高速鉄道線の恩恵を受けて、中学高校を麻布に通い、大学に入ってからも東京で過ごす日々であった。鳩ヶ谷市は2011年に川口市と合併したが、鳩ヶ谷と川口の関係は以前より薄れているのが実情である。

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