2015年11月10日火曜日

広島に帝国大学が存在しない理由

帝国大学とは明治政府が日本の最上位の教育機関および研究機関とするべく設立した大学のことである。本来は帝国大学といえば現在の東京大学のことを指していたが、京都帝国大学の設立以降は帝国大学令に基づいて設立された大学群を総称して帝国大学と呼ぶようになった。1886年に東京帝国大学、1897年に京都帝国大学、1907年に東北帝国大学、1911年に九州帝国大学、1918年に北海道帝国大学、1931年に大阪帝国大学、1939年に名古屋帝国大学が設立された。植民地であった朝鮮のソウル、台湾の台北にも帝国大学が設立されている。各地方に一つずつ帝国大学が設立された。

しかし、何故か帝国大学が設立されなかった地域がある。それは中国・四国地方である。中国・四国地方の中心都市である広島には旧帝国大学が存在しない。東京、大阪、名古屋の三大都市に次ぐ日本の都市といえば、札幌、仙台、広島、福岡の四都市であり、「札仙広福」の通称で知られる。札幌には北海道大学、仙台には東北大学、福岡には九州大学が存在するが、広島には中国大学なるものが存在しない。広島には帝国大学が設立されなかったにも関わらず、関西には京都帝国大学の他に大阪帝国大学も設立されている。地理的な分布を考えれば、京都と大阪という隣接した地域に二つも帝国大学が並んでいる一方で中国・四国地方に帝国大学が設立されなかったというのはおかしい。

戦前の広島は決して冷遇されていたわけではなかった。むしろ後の原爆投下につながったように、海軍の一大拠点として整備された地域である。広島に隣接する呉は全国に四か所しかない鎮守府が置かれた地域である。横須賀、舞鶴、佐世保と並ぶ軍港として発展を遂げ、現在に至るまで造船業の盛んな地域となっている。日清戦争では広島城に大日本帝国軍の大本営が設置され、1894年から1年間に渡って明治天皇は広島で戦争の指揮を執った。この時期は帝国議会も広島で開かれ、広島は臨時の首都として機能した。これは明治維新以降、首都機能が移転した唯一の事例である。前述の札仙広福の中では一歩リードしていたと言っても過言ではない。

このような経緯もあり、軍都広島には早くも1888年に海軍兵学校が進出していた。正確には広島に隣接した江田島に、東京築地から海軍兵学校が移転してきた。坂の上の雲で秋山真之が海軍兵学校の江田島への移転によって故郷の伊予松山に近くなったことを喜ぶシーンがあったと思うが、この時期のことである。海軍兵学校は海軍の士官養成学校で、海軍将校のほとんどは海軍兵学校の卒業生である。当時は陸軍と海軍の権力が現在と比べ物にならない程強く、軍人は官僚、政治家、実業家と並ぶくらいエリートに人気のある職業であった。実際に秋山真之も東京帝国大学への進学を捨てて、海軍兵学校に入学している。既に帝国大学と並ぶ存在の海軍兵学校が存在していたため、広島に帝国大学を設立しようとする動きが出なかったものと思われる。

東京と京都に続いて各地方に次々と帝国大学が設立されると、広島と金沢にも帝国大学を設立しようとする動きが出てきた。ただし、中国、四国、北陸は地理的に近い関西の影響力が強い地域である。これらの地方の優秀な人材は広島や金沢に留まることなく、京都や大阪に出る傾向にある。東京が全国から人を集めるのと同じように、京都と大阪も全国とまではいかないまでも、関西を超えた広い範囲から人を集める力を持っている。京都帝国大学と大阪帝国大学は中国、四国、北陸を含めた西日本全域をカバーする大学として設立されたと考えれば、広島に帝国大学が設立されなかった理由も、関西だけ二つも帝国大学が存在する理由も理解できる。

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