2016年5月21日土曜日

経営戦略全史まとめPart7 最後の答え「アダプティブ戦略」(2010年代~)

★ダンカン・ワッツ(1971~)
コロンビア大学の社会学者ダンカン・ワッツは著書「偶然の科学」において、過去と現在を必然と思いたがる人間心理、結果から全てを判断してしまうハロー効果、自己に対する過大評価が大失敗を生み出す要因となることを指摘した。失敗を回避するためにワッツが提案するのは衆知と対照実験に学ぶ方法である。衆知を集める方法として、幅広い参加者を募って問題解決を図るオープン・イノベーション、身近な成功例を手本に問題解決を図るブライトスポット・アプローチを挙げており、実践による試行錯誤こそが解決策となると論じた。

★エリック・シュミット(1955~)&ラリー・ペイジ(1973~)
試行錯誤型の経営で知られるのがエリック・シュミット、ラリー・ペイジが率いるグーグルである。グーグルはインターネットにおける対照実験とも呼べるA/Bテストを繰り返し、検索サービスの改善に努めてきた。また、2015年に持株会社アルファベットと複数の事業会社に組織再編をしたことからも分かるように、グーグルは本業である検索サービスから離れて様々なIT事業に進出を続けている。Blogger、Gmail、Googleマップ、YouTube、Androidといった事業は無数の失敗の中から生まれてきた。クレイトン・クリステンセンが主張するイノベーションのジレンマを克服すべく、グーグルは社内に小規模ベンチャーを生み出し続けている。

★ティム・ハーフォード(1973~)
イギリスの経済学者ティム・ハーフォードは著書「アダプト思考」において、イラク戦争におけるアメリカ軍の失敗と成功を分析した。1991年の湾岸戦争を契機に、アメリカ軍は情報システムを中核とした空爆・無人兵器・特殊部隊中心の機動戦を基本とするようになり、全ての情報を握る司令部が戦略を決めるトップダウン型の組織へと移行した。しかし、イラク戦争においてトップダウン型の情報戦は大失敗に終わる。アメリカ軍はゲリラやテロに対する治安維持に苦戦し、8年半の占領統治は膨大な数の死傷者を生み出した。現場からの意見が排除され、ラムズフェルド国防長官を中心としたトップの誤った作戦が続けられたためであった。

ラムズフェルド国防長官の更迭後、イラク駐留軍の司令官に任命されたデヴィッド・ペトレイアス大将はアメリカ軍をボトムアップ型の組織に改編した。現場は既に対ゲリラ戦の核心がゲリラの殺害ではなく民心の掌握にあることに気付いていた。民間人の保護と生活向上のための資金提供やインフラ整備を行うことでイラクの民心を掴んだアメリカ軍は劇的に死傷者を減らすことに成功する。試行錯誤型の組織運営は企業経営だけではなく現代戦においても効果を発揮している。

★ティム・ブラウン(1962~)
デザインファームIDEOのティム・ブラウンは、「良い解決策はユーザーを中心とした試行錯誤からしか生まれない」というデザイン思考を掲げる。対話による質問や現場の観察からユーザーの状況や気持ちを理解して共感することから始まり、試作品によって問題解決のアイデアを具体化していく。机上の議論より試作と検証を重視するデザイン思考はイノベーションの世界において注目を集めている。

★スティーブ・ブランク(1953~)&エリック・リース(1979~)
スティーブ・ブランクはスタートアップ4社を株式公開に導いた天才アントレプレナーである。ブランクはスタートアップにおいて必要なチームは商品開発と顧客開発のみであると説く。スタートアップの多くが商品開発に没頭して顧客開発に失敗していることを見抜いたブランクは、顧客がいるのか検証して軌道修正を図っていくことの重要性を論じた。さらに起業家エリック・リースは著書「リーン・スタートアップ」において、ブランクの考えをスタートアップ・マネジメント全体に拡張する。トヨタ生産方式のエッセンスも取り入れたリースは、実用最小限の製品MVP(Minimum Viable Product)を試作して無駄のない迅速な試行錯誤サイクルを回していくことでイノベーションの成功率を劇的に上げる手法を提案した。

★マーティン・リーヴス(1961~)
BCGのマーティン・リーヴスは事業環境の予測可能性、企業行動の事業環境への影響力、事業環境の過酷さという3点から事業環境を分類し、企業は事業環境に応じて適した戦略を選ぶべきであると論じている。事業環境が過酷な場合、無駄の排除や効率向上に注力するサバイバル戦略が適している。電機メーカーの過酷なグローバル競争に苦しむシャープが該当するだろう。事業環境が予測可能でも支配できない場合、競合他社に対するポジショニングに注力するクラシカル戦略が適している。競争の激しい古くからある業界にはクラシカル戦略が適しているだろう。事業環境が予測可能で支配できる場合、将来のビジョンを創り実現方法を考えていくビジョナリー戦略が適している。起業家が活用することの多い戦略である。事業環境が予測困難でも支配できる場合、企業群が規格統一を図って事業基盤を形成していくシェイピング戦略が適している。デジタル革命の初期にIT企業群が選択した手法であり、新たな産業の創成期や大きな変動の後に見られやすい。環境が予測困難で支配もできない場合、試行錯誤を繰り返して迅速に対応するアダプティブ戦略が適している。流行の変化が激しい小売業界に適した戦略で、ファストファッションのZARAやH&Mが取り入れている戦略である。事業環境の変化が激しい21世紀において、アダプティブ戦略は有効な戦略となるだろう。

2016年5月16日月曜日

経営戦略全史まとめPart6 21世紀の経営環境と戦略諸論(2000年代~)

◆世界経済の不安定化
21世紀は2001年のアメリカ同時多発テロに始まり、原油価格高騰、リーマンショック、ユーロ危機と世界経済の不安定な状況が続いている。新自由主義を代表する経済学者ミルトン・フリードマンは市場原理に基づく経済運営を唱え、ロナルド・レーガンやマーガレット・サッチャーによって1980年代から世界経済は自由主義への偏重を強める。新自由主義は世界経済の成長に貢献した一方、2009年の世界金融危機といった市場の失敗によるリスクも大きくなっている。

◆世界経済の膨張と複雑化
1990年代後半から停滞していた世界経済は2003年頃から急成長を遂げる。BRICsを中心とした新興国の経済成長が著しく、世界経済の規模は10年で倍増した。トーマス・フリードマンは著書「フラット化する世界」において、豊かな大衆が増加して世界が均質化していることを唱えた。一方、リチャード・フロリダは著書「クリエイティブ・クラスの世紀」において、均質化したのはクリエイティブ・クラスが集まる都市だけであり、都市単位で考えると世界はむしろ複雑化していると主張した。

◆産業・企業・機能の融合と再編
放送と通信など産業間の融合が進んでいる。産業バリューチェーンの再構築をマッキンゼーはIPR(Industrial Process Redesign)、BCGはデコンストラクションと名付けた。企業間の融合も進む。一部の機能をアウトソーシングすることや競合同士が提携して効率化を図ることも珍しくなくなった。調達・生産・物流の諸機能を一体として管理するSCM(サプライチェーン・マネジメント)、マーケティング・営業・サービスの諸機能を一体として管理するCRM(顧客関係マネジメント)が生み出され、企業の機能も再編が進んでいる。

◆21世紀の経営テーマ
Thinkers50に選出された経営思想家をテーマで見ると、イノベーション、リーダーシップ、ラーニングが最も人気を集めているテーマである。学生はネットとソーシャルに注目している。MBA卒業生の多くはコンサルティングファームと投資銀行を除けば、グーグルやアップルといったネット関連企業に就職している。ネット系のビジネスで起業する学生も多い。アメリカ合衆国の就職人気ランキングではNPOが人気であり、ソーシャルへの関心が高い。日本は他の先進国に比べて企業の海外売上比率が低く、グローバル化が最大の課題となっている。

★クレイトン・クリステンセン(1952~)
HBSのクレイトン・クリステンセンは著書「イノベーションのジレンマ」において、業界のリーダ企業は顧客志向の強さから既存の技術や仕組みを磨くことに専念するため、次のイノベーションに遅れを取りやすいことを示した。リーダー企業のジレンマを解決する方法として、クリステンセンは既存のビジネスから離れた小さな別動隊を組織内に生み出し、新しい顧客を開拓することを唱えた。また、イノベーターの特徴として発見力に優れていることを挙げ、創造性こそがリーダーシップとして最も重要な資質であると述べた。

★ビジャイ・ゴビンダラジャン(1949~)
新興国の経済成長によって年間世帯所得3000ドル~20000ドルの中所得者層は大幅に増加しており、新中間層の市場が劇的な拡大を続けている。また、年間世帯所得3000ドル以下のBOP層(Base Of Pyramid)を対象としたビジネスも生まれている。ダートマス大学のビジャイ・ゴビンダラジャンは著書「リバース・イノベーション」において、新興国を起点としたイノベーションについて論じた。ゴビンダラジャンはGEの研究を通じて、GEが中国市場向けに開発した低価格製品がアメリカ合衆国でも普及していることに着目し、新興国で生まれたイノベーションが先進国に逆流している実態を明らかにした。制約の多い新興国の方がビジネスにおいてイノベーションが必要とされるためであり、新興国に小さな機能横断型の起業組織を設置して、リバース・イノベーションを活性化させることを説いた。

◆ネットの本質
インターネットは従来トレードオフの関係にあったリーチ(情報がどこまで届くか)とリッチネス(情報がどれだけ豊かか)の両立を可能にした。企業や個人は情報を広く深く発信できるようになり、グーグルの検索サービスが人々の情報収集能力を格段に引き上げた。C2Cのオークションサービスが生まれ、中小企業もネットを活かした顧客開拓が可能となり、ネットは個人を始めとした小さき者に力を与えた。

◆ラーニングの新しい動き
北欧発のフューチャーセンターは未来の知的資本を生み出すための試みであり、幅広いステークホルダーを巻き込んだ対話の場が創造的な問題解決策を多く生み出していることで注目されている。一方、未来の知的資本から最大の収益を上げるために知財戦略が必要とされている。重要な特許を取得するだけではなく、知的財産からどのように収益を上げていくかという戦略が求められている。フューチャーセンターや知財戦略で活躍するクリエイティブ・クラスがいる一方、ロンドン・ビジネススクールのリンダ・グラットンは著書「ワーク・シフト」において、スキルがなければ世界中の労働者と競争することになり貧困に追い込まれると論じた。

◆ソーシャルビジネスの発展
社会的課題をビジネスによって解決する試みはバングラデシュの経済学者ムハマド・ユヌスに始まる。ユヌスは農村の貧困層に少額融資(マイクロクレジット)を行うグラミン銀行を設立した。無担保でも村民からの信頼によって融資を受けられる仕組みであり、貧困からの脱却を支援するビジネスとして注目を集めた。ゲーム理論による病院と研修医のマッチングシステムを築いた経済学者アルヴィン・ロスとロイド・シャプレー、無料でオンライン・ビデオ教育を提供するカーン・アカデミーの創設者サルマン・カーンなど、医療と教育の分野を中心にソーシャルビジネスが発展を遂げている。

2016年5月15日日曜日

経営戦略全史まとめPart5 ポジショニングとケイパビリティの統合と整合(1990年代~)

◆ポジショニングVSケイパビリティ
ケイパビリティ派躍進の背景となっていた日本企業の成長は1990年代から停滞を見せる。マイケル・ポーターは1996年に「戦略とは何か」という記事をHBR(ハーバード・ビジネスレビュー)に投稿し、競争優位を築くためにはケイパビリティよりポジショニングが重要であることを改めて主張した。ケイパビリティに優れていたはずの日本企業が不調に陥っているのは戦略の不在、即ちポジショニングの欠如が原因であると喝破した。ポーターの投稿を契機として、ポジショニングVSケイパビリティの論戦が繰り広げられることになる。

★ヘンリー・ミンツバーグ(1939~)
カナダの経営学者ヘンリー・ミンツバーグは徹底して現場を重視する姿勢から、戦略は机上で定型的に生まれるものではないことを主張した。著書「戦略サファリ」において、ポジショニングとケイパビリティのどちらを重視すべきかは状況によって変わるため、企業の発展段階に応じて戦略と組織を柔軟に変えていくコンフィギュレーションを唱えた。ミンツバーグによってポジショニングとケイパビリティ統合の道が開かれた。

★ロバート・キャプラン(1940~)&デビッド・ノートン(1941~)
HBSのロバート・キャプランと経営コンサルタントのデビッド・ノートンは財務指標に偏っていた企業評価の状況を変えるべく、バランスト・スコアカードという業績管理方法を編み出した。1970年代後半以降、アメリカ合衆国では企業の株式を握るようになった機関投資家が短期的な株価の上昇を求め、経営者は財務指標の向上に注力するようになった。しかし、財務指標はあくまでも過去の情報であり、環境変化の激しい現代において真の企業価値を示すものではなかった。バランスト・スコアカードは財務、顧客、業務プロセス、イノベーションと学習という4つの視点から将来性を含めて企業を評価するフレームワークであり、ポジショニングとケイパビリティ両方の視点を統合する試みでもあった。

★チャン・キム(1952~)&レネ・モボルニュ(1963~)
フランスの名門ビジネススクールINSEADの経営学者である韓国出身のチャン・キムとアメリカ合衆国出身のレネ・モボルニュはヨーロッパ発のヒット作「ブルー・オーシャン戦略」を生み出した。マイケル・ポーターが市場での競争に打ち勝つ戦略を追い求めたのに対して、従来の市場(レッド・オーシャン)で競争するのではなく、競争のない新しい市場(ブルー・オーシャン)を生み出す戦略を唱えた。新しい市場コンセプトの案出とそれを実現するケイパビリティの創造、即ちバリュー・イノベーションこそが真の戦略であると唱えた。市場の創造に成功した事例としてアップルのiPod、シルク・ドゥ・ソレイユ、任天堂のDSやWiiが挙げられる。

★ジェフ・ベゾス(1964~)
ブルー・オーシャン戦略を体現する人物がアマゾン創業者のジェフ・ベゾスである。インターネットビジネスにチャンスを見出したベゾスは1995年にインターネット書店のアマゾンを創業する。eコマース(電子商取引)事業に対する先見の明に加えて、ベゾスはブルー・オーシャンを築くための確たる戦略を有していた。物流センターへの莫大な投資を行ったアマゾンは一時的に赤字に陥るものの、翌日には商品を届けるというクイック・デリバリーを可能にした。新たな顧客価値によってeコマース市場にブルー・オーシャンを築いたアマゾンは2016年現在、時価総額において世界7位の巨大企業に成長している。

2016年5月14日土曜日

冴えない彼女の育てかた考察 WHITE ALBUM2との比較から

WHITE ALBUM2と冴えない彼女の育てかたが非常にリンクした作品であることに気付いたので考察してみたくなった。WHITE ALBUM2はintroductory chapter、closing chapter、codaの3部構成となっているが、introductory chapterと冴えない彼女の育てかた7巻までのストーリー展開は似通った点や比較できる点が多い。

◆メインヒロインとの運命的な出会い
「ある春の日、俺は運命と出会った」というプロローグから始まる冴えカノ。桜の舞う坂道で出会った少女に運命を感じた安芸倫也は彼女をメインヒロインにした同人ゲームの作成を思い付く。一方、WHITE ALBUM2では北原春希がある秋の夕暮れ、学校の屋上で学園のアイドル小木曽雪菜と運命的な出会いを果たす。春希は雪菜をメンバーに加えて学園祭のバンド発表に向けて動き出す。
 
◆メインヒロインとの関係
倫也は運命を感じた少女が名前も覚えていなかったクラスメイトの加藤恵であることを知る。印象が薄い加藤はクラスでも目立たない存在であったが、倫也は彼女をメインヒロインとするべく強いこだわりを見せる。一方、春希は雪菜の普通の女子高生としての素顔に気付いており、彼女を学園のアイドルとして特別扱いしなかった。雪菜はそんな春希に逆に興味を持つようになる。

◆才能への憧れ
倫也は同人イラストレーターの澤村・スペンサー・英梨々、ライトノベル作家の霞ヶ丘詩羽という二人の天才クリエイターをサークルメンバーに加える。一方、春希は天才ピアニストの冬馬かずさをメンバーに迎える。どちらの作品もメインヒロインの対抗馬として、才能を持ったヒロインが登場する点が共通している。倫也も春希も才能への憧れを抱く人物であり、サークル活動を通じてその思いを強めていく。

◆過去の因縁
倫也と英梨々は幼馴染であるが小学生時代のいじめがきっかけで疎遠になっていた。詩羽とは深い間柄であったが作家とファンの関係に対する意見の衝突から疎遠になっていた。春希とかずさも物語の開始以前から交流を持っていたことが後に明らかになる。英梨々、詩羽、かずさ、3人とも物語開始時点で主人公に好意を持っており、過去の因縁が関係を複雑なものにしている。

◆メインヒロインを捨てる主人公
冬コミ直前に倒れてしまった英梨々。倫也は英梨々の看病を優先して、加藤に相談することなく冬コミを諦めてしまう。サークルを捨てて那須の別荘で英梨々とクリスマスを過ごしてしまった倫也は加藤を捨てたと言っても過言ではない。春希は雪菜と恋人になったにも関わらず、かずさへの思いを捨てきれずにいた。そして春希は卒業式の後、雪菜を置き去りにしてかずさの元に向かう。

◆主人公を捨てるヒロイン
クリスマスに仲直りを果たしてから英梨々は圧倒的なヒロイン力を見せつけるようになる。しかし、クリエイターとして成長するべく英梨々は詩羽を巻き込んで倫也から離れる決断をする。かずさも春希と結ばれた後、ピアニストとして成長するためウィーンへ旅立ってしまう。主人公に残されたのはメインヒロインのみ。

作者が同じとはいえ、ここまで似ていると何らかの意図を感じてしまう。主人公の名前も意味深である。北原「春」希と安芸(秋)倫也。春希はある秋の夕暮れに雪菜と出会い、倫也はある春の日に加藤と出会った。作者の丸戸史明がWHITE ALBUM2を意識して冴えカノを書いているのは間違いないと思う。ただし、冴えカノでは主人公の気持ちが基本的にメインヒロインに向いている点がWHITE ALBUM2と異なっており、WHITE ALBUM2のキャラクター設定やストーリー展開を踏襲したオマージュなのではないかと考えられる。7巻でintroductory chapter(序章)を終えた冴えカノはclosing chapter(終章)へと突入していく。既に8巻、9巻、Girls Side2まで発売されているが、倫也、加藤、英梨々の三角関係がストーリーの基軸となっている印象を受ける。Girls Side2において加藤と英梨々はひとまず仲直りを遂げているが、今後の展開はどうなるか。

三角関係が動くのは誰かが誰かに告白した瞬間である。WHITE ALBUM2では春希とかずさが付き合うことによって居場所を失うことを恐れた雪菜が電撃的な告白を成功させた。雪菜の告白によって胃が痛くなる三角関係が延々と続くことになるわけだが、結果的に雪菜は最初に春希と恋人になったという既成事実によって、紆余曲折はあったにせよcodaのグランドフィナーレと言える雪菜トゥルーエンドまで進むことに成功する。春希とかずさは物語の最初から相思相愛であったにも関わらず、雪菜への罪悪感が二人の関係に影を落とす。誰が誰にどのタイミングで告白をするかというのは物語の展開を左右する最も重要なイベントとなる。

Girls Side2では加藤が倫也に好意を持ったことがあると明らかにされたが、その感情は揺れ動いている途中のようである。加藤→倫也の告白はしばらく有り得ないと考えて良いだろう。可能性が高そうなのは倫也→加藤、英梨々→倫也の告白である。個人的には倫也→加藤の告白が失敗、その後に英梨々→倫也の告白、ここで倫也が春希並の駄目主人公ぶりを見せて英梨々と恋人になるという展開が一番面白そう。加藤は意図があって(ショックを受けた英梨々が駄目になってクリエイターの仕事に影響が出ないように等の理由から)一時的に倫也の告白を断るが、倫也は傷心から初恋の相手で今も特別な好意を寄せる英梨々からの告白に心を動かされてしまう。倫也が加藤の気持ちに気付いたときには時既に遅し。そして英梨々も倫也と加藤の気持ちに気付いてしまう。倫也、加藤、英梨々の関係がかつてない程ギスギスするようになったところでclosing chapter終了。そしてcodaへ…という流れになりそうな予感。

WHITE ALBUM2では雪菜が学園祭で最後に歌った「届かない恋」が春希がかずさを想って作詞した曲であったという皮肉な事実が明かされる。冴えカノにおいても既に英梨々は加藤をモデルとしたメインヒロインの作画を担当しているが、今後は英梨々が居た堪れなくなる更に皮肉な展開が待っていそう。

2016年5月11日水曜日

経営戦略全史まとめPart4 ケイパビリティ派の群雄割拠(1980~1990年代)

◆日本企業の躍進
マイケル・ポーターが経営戦略とはポジショニングの選択であると論じたのに対して、ポジショニングでは説明のできない事象も起こっていた。それは1970年代から本格化する日本企業の躍進である。複写機市場でゼロックスに挑んだキヤノン、自動車市場でBIG3に挑んだホンダ、いずれも市場は飽和状態であり、絶対的な王者というべき競争相手が既に存在していた。規模も事業経験も劣る日本企業の挑戦と成功はポジショニング戦略では説明のできない事象であった。

BCGはアメリカ合衆国におけるホンダのバイク市場での成功を経験曲線に基づくコストリーダーシップ戦略として説明したが、マッキンゼーのリチャード・パスカルはホンダに対するインタビューから当時のホンダに明確な戦略はなかったことを明らかにして、BCGの誤った分析を心理学用語のハロー効果と関連付けてホンダ効果と名付けた。キヤノンとホンダの躍進は技術力というケイパビリティに基づいた成功であり、有名なトヨタ生産方式も規模に頼らずに生産性向上を目指すものであった。日本企業の躍進はケイパビリティ派が勃興する契機となった。

★トム・ピーターズ(1942~)
マッキンゼーのトム・ピーターズは著書「エクセレント・カンパニー」において、超優良企業43社の分析から7つの成功要因である7Sを導き出した。Strategy(戦略)、Structure(組織構造)、System(組織運営)というハード面だけではなく、Staff(人材)、Skill(スキル)、Style(経営スタイル)、Shared Value(共通の価値観)というソフト面に着目した点が革新的であり、超優良企業では価値観の共有によるマネジメントが行われていることを示した。

◆ベンチマーキング
1980年代にはアメリカ企業の中からもベンチマーキングと呼ばれるケイパビリティ向上策が生まれる。他部署や他企業の優れた事例ベストプラクティスを学ぶベンチマーキングによって復活を遂げた企業がゼロックスである。ゼロックスは競合製品のリバースエンジニアリング、競合の業務プロセス調査という競合ベンチマーキング(業界内比較)から始め、さらに倉庫業務をアウトドア用品通販のL・L・ビーン、請求業務をアメリカン・エキスプレスから学ぶ機能ベンチマーキング(業界外比較)まで徹底して行うことでコスト削減に努めた。日本企業が無意識に行っていた業務改善活動はアメリカ企業によってベンチマーキングとして体系化されることになった。

★ジョージ・ストーク(1951~)
BCGのジョージ・ストークは農機具メーカーのヤンマー、トヨタやホンダといった日本企業の分析からタイムベース競争戦略を生み出した。当時のトヨタやホンダはGMやフォードの半分の時間で新車を開発する研究開発能力、多種類の商品を低コストで素早く納品する生産能力を有しており、ストークは日本企業の競争力の源泉が時間短縮による付加価値向上とコストダウンにあるのではないかと考えた。あらゆるプロセスにかかる時間を短くすることでコストは下がり、顧客の要望から対応までのリードタイムを短縮することで付加価値も上がる。ポーターが戦略の3類型でコスト低下と付加価値向上は二律背反であると論じたのに対して、ストークは著書「タイムベース競争戦略」において、時間短縮というケイパビリティによって両者が同時に実現可能なことを示した。分析可能なケイパビリティ戦略という点でタイムベース競争戦略は有用性があった。

★マイケル・ハマー(1948~2008)
MIT(マサチューセッツ工科大学)のマイケル・ハマーは著書「リエンジニアリング革命」で一世を風靡した。フォードの大量生産システムに代表されるように、分業は近代以降の急速な生産力拡大を支えてきた。一方、徹底した分業体制は個人や現場の自律的な行動を阻害し、コスト増加やサービス低下の原因ともなっていた。ハマーが提唱したビジネス・プロセス・リエンジニアリングは従来の職能別分業体制を見直し、職能横断的な業務プロセスへの変革を求めるものであった。しかし、実現の難しさゆえにリエンジニアリングの試みは多くが失敗に終わることとなった。

★ゲイリー・ハメル(1954~)&C・K・プラハラード(1942~2010)
ロンドンビジネススクールのゲイリー・ハメルとミシガン大学のC・K・プラハラードは著書「コア・コンピタンス経営」において、コア・コンピタンスという概念を提唱した。コア・コンピタンスとは収益につながる持続的で競合上優位なケイパビリティのことである。例えばシャープは液晶技術がコア・コンピタンスであり、この強みを活かしてビデオカメラのビューカム、PDAのザウルス、薄型テレビのアクオスを生み出した。競争力の源泉であるコア・コンピタンスを軸に事業を展開することで、ビジネス環境の変化にも対応して成長することができると論じられた。

★ヨーゼフ・シュンペーター(1883~1950)&リチャード・フォスター(????~)
オーストリア出身のヨーゼフ・シュンペーターはイノベーション理論の始祖として知られる経済学者である。シュンペーターは著書「経済発展の理論」において、企業家の行う不断のイノベーションこそが経済を変動させると主張した。1970年代後半からITを中心としたイノベーションの時代が到来すると、イノベーション理論は改めて注目されるようになる。

マッキンゼーのリチャード・フォスターは2重のS字曲線を用いて、イノベーション普及の原理を示した。横軸が投入された資金や労力、縦軸が成果という図において、新しいイノベーションが古いイノベーションを抜き去るように2重のS字曲線が描けるというものである。シュンペーターがイノベーションの非連続性を論じたように、フォスターは企業の盛衰からイノベーションにおいて担当者の変更が生じることを示した。担当者の変更を防ぐためには、古いイノベーションによって得た利益を次の新しいイノベーションに向けて投資することが必要であると考えられた。

★フレッド・ターマン(1900~1982)&ハワード・スティーブンソン(1941~)
スタンフォード大学中興の祖として知られるフレッド・ターマンはスタンフォード・リサーチパークを創設して多くの先端企業を誘致し、シリコンバレーの生みの親となった。シリコンバレーをベンチャー企業の集積地として発展させ、HP、インテル、アップルといったIT企業群を生み出した。

1980年代になるとハーバード大学も対抗して企業家の育成に乗り出す。HBSにおいて企業家育成コースを立ち上げたハワード・スティーブンソンはアントレプレナーの特徴として、機会を追求した戦略、機会への素早い対応、経営資源の外部調達、フラットな組織構造、チーム単位の報奨システムを挙げて、既存の経営資源に囚われず機会を追求する姿勢こそアントレプレナーシップであると論じた。

★ピーター・センゲ(1947~)&野中郁次郎(1935~)
MITのピーター・センゲはシステム論の観点から企業を理解しようとした。センゲは著書「学習する組織」において、個人と集団の両方の継続的学習から企業の競争優位が生まれることを主張した。個人重視のアントレプレナー論に対して、「学習する組織」は組織重視のラーニング論を展開し、イノベーションを生み出す企業のあり方を論じた。

センゲの継続的学習という概念を具体化したのが一橋大学の野中郁次郎である。野中は著書「知識創造企業」において、共同化Socialization(個人+個人:暗黙知)、表出化Externalization(個人→集団:暗黙知→形式知)、連結化Combination(集団+集団:形式知+形式知)、内面化Internalization(個人:形式知→暗黙知)のプロセスから成るSECIモデルを用いて、個人と集団の中で新しい知識が生まれていく仕組みを示した。SECIモデルはチームでの知識創造、連続した漸進的なイノベーションの仕組みを説明していた点が注目を集めた。

★ジェイ・B・バーニー(1954~)
オハイオ州立大学のジェイ・B・バーニーは著書「企業戦略論」において、VRIO分析を用いて資源ベースの戦略論(Resorce-Based View)を展開した。VRIO分析はValue(経済価値)、Rarity(希少性)、Imitability(模倣困難性)、Organization(組織)という4つの観点から、経営資源が持続的な競争優位の源泉となるか見極めるものである。企業によって収益性が異なる要因を経営資源に求める資源ベース戦略は、外部環境の変化を考慮していない点、VRIO分析の経済価値という概念が曖昧である点、有効な経営資源を生み出すプロセスを示していない点など様々な問題を抱えていたが、ケイパビリティの包括的な分析が可能な点で注目を集めた。

2016年5月8日日曜日

経営戦略全史まとめPart3 ポジショニング派の大発展(1960~1980年代)

★ブルース・ヘンダーソン(1915~1992)
ブルース・ヘンダーソンは1963年に創業したBCG(ボストン・コンサルティング・グループ)をマッキンゼーと並ぶコンサルティングファームに育てた。ヘンダーソンの下でBCGは様々な経営戦略のコンセプトを生み出していく。ジョン・クラークソンが発見した経験曲線もBCGが生み出したコンセプトの一つである。累積の生産・販売量が倍になるとコストが一定の割合で減少していくことを示した両対数グラフであり、短期的な利益を度外視して市場シェア拡大を求め続けた当時の日本企業を説明するものでもあった。生産・販売量を増やして市場シェアを上げることが経験曲線を競合より早く駆け降りる近道であり、日本企業躍進の秘密であった。

BCGは日本経済の躍進に早くから注目したコンサルティングファームであり、日本的経営を世に広めたジェイムズ・アベグレンの下で1966年に早くも東京オフィスを設立している。財務論の研究者アラン・ゼーコンを招いて生み出したのが持続可能な成長の方程式で、借入比率を高めることが持続可能な高成長につながることを示した。アメリカ企業が自己資本比率を高めることに躍起になっていたのに対して、借入金を増やして事業を拡大する日本企業が高成長を遂げていた原因を説明するものであった。

BCGは有名な経営戦略ツールであるPPM(プロダクト・ポートフォリオ・マネジメント)も生み出した。市場成長率と相対シェアを軸に事業を4種類に分ける2×2のマトリクスで、定量的な分析が可能な点が革新的であった。市場成長率が低く、相対シェアが高い事業は金のなる木(Cash Cow)として投資資金の創出源とされた。市場成長率が高い事業は相対シェアが高いスター(Star)、相対シェアが低い問題児(Problem Child)に分かれ、金のなる木で生み出された資金をスター事業に最大投資、次のスター事業を育てるべく選別した問題児にも重点的な投資を行うことが基本方針とされた。

PPMはコトラーが提唱したプロダクト・ライフサイクル戦略と競争的マーケティング戦略を組み合わせたマトリクスであり、単純明快な事業診断ツールとして現在も企業戦略の構築に用いられている。GEのジャック・ウェルチがシェア2位以下の事業からは撤退するという大胆な戦略で成功したのもPPMが基盤となっている。1973年の第一次オイルショックは外部環境を激変させる重大事件であったが、大企業は多角化した事業の整理を行う上でPPMを大いに活用し、BCG躍進の契機となった。ちなみに市場成長率が低く、相対シェアも低い事業は負け犬(Dog)として撤退が基本方針とされているが、プロダクト・ライフサイクルの観点では成熟期ではなく導入期の可能性があり、一概に撤退すべき事業であるとは言えない。

★フレッド・グラック(1935~)
フレッド・グラックは弾道弾迎撃ミサイル開発のプログラムリーダーを務めた後にマッキンゼーに入社した異色の経営コンサルタントである。BCGの追い上げによって苦境に立たされていた1970年代のマッキンゼーを戦略系コンサルティングファームに変革した。マネージング・ディレクターであるロン・ダニエルの下で戦略サービス強化を推進し、パートナーを集めたセミナー合宿の開催を続けて1979年には売上の半分を戦略分野が担うまでに成長させた。

★マイケル・ポーター(1947~)
マイケル・ポーターは史上最年少35歳でHBSの教授となり、現在もポジショニング派の旗手として経営戦略の世界をリードしている。著書「競争の戦略」において、儲けられる市場を選び、競合に対して儲かる位置取りをするポジショニングこそ経営戦略において重要であると主張したポーターは、ポジショニングのための様々な経営戦略ツールを生み出した。業界構造を明らかにするための5フォース・フレームワークは企業に圧力をかける5つの力(既存競合、買い手、供給者、新規参入者、代替品)を分析するツールであり、業界構造の理解によって儲けられる市場かどうか判断できると論じた。

そして儲かる位置取りとしてコストリーダーシップ戦略、差別化戦略、集中戦略の戦略3類型を掲げた。自社が有利となるニッチ市場のみに集中する集中戦略は、コトラーが提唱する戦略的マーケティング・プロセスのSTPと整合する。対象とする市場を広く考える場合には競争優位の源泉をコストに求めるコストリーダーシップ戦略、顧客に対する付加価値の高さに求める差別化戦略に二分できると論じた。コストリーダーシップ戦略はBCGの経験曲線と整合するものであり、シンプルでありながら現実を見事に反映した経営戦略ツールであった。

また、ポーターは企業活動を価値創造の連鎖と捉えるバリューチェーンの概念を生み出した。ポジショニングを維持するためのケイパビリティ(企業能力)の重要性についても論じたが、ケイパビリティはあくまでもポジショニング実現のための手段として捉えるのがポーターであり、ポジショニング派とケイパビリティ派の長い論争が始まった。

◆戦争と経営戦略
経営戦略は企業経営を市場における戦争に例えた概念である。ナポレオン戦争の時代を生きたポーランド系ドイツ人のカール・フォン・クラウゼヴィッツは、ナポレオンが戦争に強かった理由として、目標地点の奪取にこだわらず勝てる場面でしか戦わなかったことを挙げている。また、イギリス人のフレデリック・ランチェスターは、銃火器が発達して一人が多数の敵に対して攻撃が可能となった戦闘において、戦力は兵員数の2乗に比例することを明らかにした。近世の1対1による白兵戦と異なり、近代戦闘においては戦力が算術級数的ではなく幾何級数的に増加していくことを示した。ランチェスターの法則と呼ばれる戦闘の数理モデルは経営戦略への応用が可能であり、シェア2位以下の企業はニッチ市場への集中戦略か付加価値を高める差別化戦略によってしか1位の企業に立ち向かえないことを示している。クラウゼヴィッツとランチェスターの知見は経営戦略の世界において、ポジショニング重視の戦略に適用することが可能である。

2016年5月7日土曜日

経営戦略全史まとめPart2 近代マネジメントの創世(1930~1960年代)

★チェスター・バーナード(1886~1961)
第一次世界大戦後の好景気に沸いていたアメリカ合衆国は1929年にバブル崩壊を迎える。世界恐慌という外部環境の変化に対して、経営者の役割を論じたのがニュージャージー・ベル電話会社の社長チェスター・バーナードであった。バーナードは著書「経営者の役割」において、組織を共通目的、貢献意欲、コミュニケーションの三要素から成るシステムとして定義し、共通目的となる経営戦略を生み出すことが経営者の役割であると論じた。実際に世界恐慌によってフォードが不振に陥る中、多ブランド戦略を打ち出したアルフレッド・スローンはGMを世界一の自動車メーカーに成長させた。

★ピーター・ドラッカー(1909~2005)
オーストリア出身の経営学者であるピーター・ドラッカーはマネジメントの伝道師として知られる。GMの企業研究を通じてドラッカーは大企業における分権経営とマネジメントの重要性を発見する。経営資源であるヒト・モノ・カネをいかに管理するかというマネジメントの概念はドラッカーの発明ではないが、ドラッカーはマネジメントの有用性を社会に普及させる伝道師として活躍した。

★イゴール・アンゾフ(1918~2002)
ロシア出身の経営学者イゴール・アンゾフは軍事用語の「戦略」というワードを用いて、市場における競争という経営戦略の概念を生み出した。経営戦略に一定の分析方法や構築手法を示したアンゾフは経営戦略の父と言える。アンゾフが生み出した最も有名な経営戦略ツールはアンゾフ・マトリクスとして知られる。製品と市場を軸に企業としての成長の方向性を4種類に分ける2×2のマトリクスで、既存の市場を相手に既存の製品で戦う市場浸透戦略、既存の製品を新しい市場に売り込む市場開拓戦略、既存の市場に新しい製品を開発して売り込む製品開発戦略、新しい製品を開発して新しい市場に投入する多角化戦略を提案した。

アンゾフは著書「企業戦略論」において、企業の意思決定をStrategy(製品と市場)、Structure(組織編成と資源分配)、System(予算編成と直接管理)の3種類に分ける3Sモデルを提唱した。そして自社の理想とする姿を描いて現在との差を埋めるギャップ分析を通じ、最も重要な戦略的意思決定を行うことこそ経営者の責務であると論じた。経営戦略は各事業の方針を決める事業戦略、そして全体を管理する企業戦略に分けられ、成長の方向性を定めて事業のポートフォリオを管理するツールとしてアンゾフ・マトリクスが生み出された。

アンゾフは既存の企業活動の中でコアとなる強みこそ競争力の源泉であると考えた。そのため経営戦略には製品・市場分野と自社能力の明確化、競争環境の特性理解、シナジーの追求、成長ベクトルの決定という4要素が欠かせないことを主張した。競争に勝つにはコアとなる強みが必要であるという考えは後のケイパビリティ戦略に、競争環境の分析は後のポジショニング戦略につながっていく。

★アルフレッド・チャンドラー(1918~2007)
経営史家として知られるアルフレッド・チャンドラーはデュポン、GM、スタンダード石油ニュージャージー、シアーズ・ローバックというアメリカ合衆国を代表する大企業4社の戦略・組織研究を通じて、著書「組織は戦略に従う」とその有名なフレーズを生み出した。4社の特徴は集権的な職能別組織から製品別・地域別の事業部から成る事業部制へと転換していたことであった。事業の多角化に成功してトップ企業に登りつめた4社の事例から、事業部制によって多角化戦略を進めるというコンセプトが流行する。チャンドラーは事業戦略と組織戦略が相互作用を及ぼすことを論じていたが、組織戦略は実行が難しいために事業戦略が先導することとなり、「組織は戦略に従う」というフレーズが広まることとなった。

★マーヴィン・バウアー(1903~2003)
マーヴィン・バウアーはジェームズ・マッキンゼーが創業したマッキンゼー・アンド・カンパニーを引き継ぎ、アメリカ合衆国を代表する経営コンサルティングファームに育て上げた。バウアーは1950年代から1960年代にかけて流行していた事業部制の導入支援を主力商品とし、定量的に企業を診断するツール「ジェネラル・サーベイ・アウトライン」を用いて、コンサルティングファームを社会に浸透させた。

★ケネス・アンドルーズ(1916~2005)
HBS(ハーバード大学ビジネススクール)のケネス・アンドルーズは戦略プランニングの手法を論じる中で、有名な経営戦略ツールのSWOTマトリクスを生み出した。内部要因でポジティブな要素をStrengths、ネガティブな要素をWeaknesses、外部要因でポジティブな要素をOpportunities、ネガティブな要素をThreatsと整理する2×2のマトリクスである。ちなみにSWOTマトリクス自体はアイデア整理のためのツールであり、SWOT分析と称されるような機械的に戦略を決めるツールではない。アンドルーズ自身、経営戦略とはある種のアートであると考えていたようである。

★フィリップ・コトラー(1931~)
フィリップ・コトラーはマーケティングの第一人者として知られる。コトラーは著書「マーケティング・マネジメント」において、R(調査)、STP(セグメンテーション・ターゲティング・ポジショニング)、MM(マーケティング・ミックス)、I(実施)、C(管理)という5つのステップから成る戦略的マーケティングを論じた。特にSTPは市場を細分化し、標的とする市場を定め、競合に対してどのような差をつけるか決めるマーケティングの中核である。STPを具体化する段階がMMであり、製品、価格、チャネル、プロモーションというマーケティング手段の4Pをバランス良く組み合わせることが重要であると論じた。

コトラーは他にもプロダクト・ライフサイクル戦略、競争的マーケティング戦略などを提唱している。プロダクト・ライフサイクルは製品が導入期、成長期、成熟期、衰退期という4つのステージを経て市場に広がっていくという理論である。ステージに合わせて変化する市場規模、収益性、ターゲット顧客に応じて戦略を決めていく。一方、競争的マーケティングは市場におけるポジションによって戦略を決める考えである。

2016年5月5日木曜日

経営戦略全史まとめPart1 近代マネジメントの3つの源流(1910~1930年代)

経営理論の入門書として三谷宏治の経営戦略全史を読了。巷に溢れる様々な経営理論、それらが生み出された背景を理解するためには最適な良書であったと思う。400ページに及ぶ内容を章別に整理していきたい。

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★フレデリック・テイラー(1856~1915)&ヘンリー・フォード(1863~1947)
フレデリック・テイラーは第二次産業革命期のアメリカ合衆国に生まれたエンジニアである。彼の功績は工場に科学的管理法を導入して生産性の向上を図ったことである。テイラーは熟練工の作業を研究し、当時急増していた未熟練工でも高い生産性を発揮できるマニュアルをつくりあげた。また、作業内容を標準化したことにより、一日の公正な作業量を定めるタスク管理と作業量に応じて賃金を変動させる段階的賃金制度の導入が可能となった。それまで労働者によって作業量が異なっていても、彼らの仕事を適正に評価することは難しかったが、テイラーの科学的管理法はこの問題を解決し、労働者のモチベーションを向上させた。執行機能を担うライン部門に加えて、計画機能を担うスタッフ部門が必要となったことで、現代では一般的な形態である職能別組織も生み出した。

テイラーの科学的管理法を最も体現した人物が自動車の大量生産に成功したヘンリー・フォードである。フォードは平均世帯年収の4倍もしていた自動車の価格をT型フォードによって8分の1にまで下げることに成功したが、その背景にあったのはマニュアル化、分業、流れ作業から成る大量生産システムであった。また、フォードは大量の労働者を高い賃金で雇って豊かな大衆を生み出し、大量生産、大量消費の時代の礎を築いた。しかし、フォードの大量生産システムはチャールズ・チャップリンの映画モダン・タイムスで風刺されたように、単純作業の精神的苦痛を伴うものであった。フォードのように生産性向上の成果を労働者と分かち合うような経営者も少なく、科学的管理法は次第に資本家と労働者の格差を拡大させる方向に働く。職能別組織も少数のホワイトカラーと多数のブルーカラーに組織を分断するものであり、労使対立を煽る結果につながった。

★エルトン・メイヨー(1880~1949)
オーストラリア出身の心理学者エルトン・メイヨーはアメリカ合衆国におけるホーソン実験を通じて、労働環境よりも職場の人間関係が労働意欲に影響を与えることを明らかにした。テイラーは経済的動機に基づいて行動する労働者を想定していたが、実際の労働者の行動は感情に大きく左右されていた。テイラーが活躍していた時代こそ人々は貧しく、生活水準の向上を至上の目的として労働者は働いていた。しかし、大衆が豊かになったメイヨーの時代において労働者は必ずしも経済的対価のみを追い求めていたわけではなかった。生産性向上のためには人の感情や人間関係といった定性的な情報も重要であり、テイラーの定量的な科学的管理法に対して、メイヨーは人間関係論を提起した。

★アンリ・フェイヨル(1841~1925)
フランスの鉱山経営者アンリ・フェイヨルは実務で培った経験から、従来の技術活動(開発・生産)、商業活動(販売・購買)、財務活動(財務)、保全活動(人事・総務)、会計活動(経理)に加えて、経営活動(経営企画・管理)が企業にとって必要不可欠な活動であると整理した。また、経営活動を計画(予測と活動計画)、組織化(経営資源供給)、指令(人的管理)、調整(バランス)、統制(フィードバック)の5要素をサイクルとして回すことであると提起し、現在もPDCAサイクルとして知られている。テイラーとメイヨーが現場の生産性向上に着目したのに対して、企業活動の統制に着目したフェイヨルは経営という概念を広く捉えた人物であった。